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高校生が着る夏制服の半袖白シャツから伸びる腕の健全さはむしろ不健全

06 07 *2011 | にちじょう

こないだの日曜日、なにかの運動部系に所属する高校生たちの群れをみました。
男女混合で15人ほど。引率の先生は40後半くらいの女性。

わたしは、それをじぃぃーっと見ても不自然じゃない立場にいたので、彼ら彼女らがいた15分間、思う存分観察しました。
この年齢になると、高校生の群れをじっくり観察する機会もめったにないわけですし。
高校生たちはとても行儀がよくて、騒ぎすぎずはしゃぎすぎず、うわついたところもなく、素朴だけど清潔な制服姿でとても好感度が高いかんじでした。

つくづくおもったのが、彼ら彼女らは、ほんとうにまだ少年少女であることよな~、ということ。おとなのわたしの目線から見ると、子どもにしかみえません。
子どもは子どもの世界で、楽しんだり傷ついたり笑ったり恋をしたりしている。
時間が止まってしまったような大人の世界からみると、彼ら彼女らの周りにだけ、時間が流れているようにみえます。
今日と明日が、違う日である、ということがあたりまえの世界。
まだルーチンなど知らぬ、目新しいばかりの毎日。
惰性という言葉からはほど遠い、動いている日々。
小さな子どもに感じるような新しい生命の躍動はすこし薄まっているけれども、それでも、近くにいるだけで未来に希望が見えてくるようなかんじがしました。

でも、彼らと真からの対話はできない。だって、未成熟すぎる。それはわたしの思い込みだけど、それでも、経験の少なすぎる彼らはわたしの話し相手にはならない。見た目だってふにゃふにゃふわふわしてて、さわると崩れる水饅頭みたいで頼りない。だから、遠巻きに彼らの楽しそうな様子を眺めて癒されるだけでじゅうぶんだ。

わたしも、すっかり成熟してしまったのだろうな。こないだまで、ずうずうしくもまだ『子どもカテゴリ』で無理を押し通そうとしてましたが、さすがにもう無理すぎ。
青春の時代は遠く離れて、わたしは、大人のルーチンの日々に埋没しています。
恋愛もときめきも出来る範囲で、いや、めんどくさいから出来る範囲よりもうちょっとささやかでいい、みたいなかんじになってきています。
一生懸命になることなんて、きっとこのさき、もうない気がする。あるかもしれないけど、確率7%くらい。

こんな日々に、小さくて若い恋が飛び込んできたら、ほんとうに世界が変わると思う!
子どもにしか見えなかった高校生が、自分と正面向かい合って対話のできる人間だと理解できたとき、いっきに常識もルールも世間もふっとんで、その恋に夢中になるんじゃないかな。

えーと、たとえば、あらほく?

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