log

Twitterに投稿したものをこっちにもメモすることにしました。

10 01 *2020 | 未分類

 
 今日は、放課後デートの約束の日。調理実習で作ったクッキーは、コーヒーに合うようにお砂糖を控えめにして、すこしジンジャーも入れてみた。クラスメイトたちには大好評だったし、我ながら、けっこううまくできたと思う。
 一刻も早く、おとなの恋人に食べてもらいたくて、そして、ほめてほしくて、わたしの足は知らず知らずのうちに、小走りになる。
「貴文くん!」
 恋人の名を呼びながら、化学準備室の扉をあける。
 するとそこには、貴文くんだけじゃなくて、天敵、いや、『親友』の瑛くんも、いた。

「おっまえなぁ!」
 うわ、やだ。さっそく『お父さんの説教モード』に入ってる。
「もう。瑛くん、貴文くんになにか質問があって来てるんでしょ。わたしのことはいいから、自分のことに集中してよ」
 うんざり顔で横を向けば、「ちゃんとこっち向け!」と厳しい口調で言われた。
「俺だったからよかったようなものの、ほかの奴だったら、おまえのはね学人生終わってるぞ。つか、若王子先生の教師生命も終わりだ!」
「だってぇ、貴文くん、一人だと思ったんだもん」
「その『貴文くん』ていうのをやめろって言ってるんだ! 先生も先生ですよ。こいつにこんなふうに呼ばせてていいんですか? やめさせたほうがいいですよ」
 佐伯くんの魂の訴えに、当の貴文くんはと言えば、「え? どうして? 可愛いじゃないですか」と、にこにこしている。
「!! バカップルか!」
 しんそこあきれたように吐き捨てて、瑛くんは、わたしが持ってきたジンジャークッキーに手を伸ばす。
「だめ! それは貴文くんに持ってきたの!」
「いいだろ、一枚くらい。珊瑚礁のバイトとしてふさわしいかどうかのテストだ、テスト」
 そう言って、ぞんざいに口に入れる。すると、瑛くんは目を見開いた。
「これ。ほんとにおまえが作ったのか?」
「そうだよ。なにか文句ある?」
「いや、うまい。ジンジャーが効いてるから、素材の甘味が引き立つ。腕をあげたな」
「そ、そうかな。えへへ。愛の力かな。……イタっ!!」
「調子乗るな」の声とともに、すかさず、チョップがとんできた。

「もう。瑛くんったら、なんなの!」
 小皿にクッキーを取り分けながら文句を言うと、コーヒーを手にした貴文くんが「でも、君が約束の時間より十分も早く来るからでしょう」と、ちょっぴり楽しそうに言う。
「だって。貴文くんに早くクッキー食べてもらいたかったんだもん」
「ふむ。なるほど。もしかして、僕のせいだった?」
「ちがいます。わたしが、貴文くんに早く会いたかったんです」
 わたしが言うと貴文くんは、満足そうに微笑んだ。
「うん。ありがとう。ところで、佐伯くんにも指摘されたし、その『貴文くん』っていうの、やめてみますか?」
「えっ……。だって、これは、貴文くんが……」
 そうなのだ、これはそもそも、わたしが瑛くんのことを『瑛くん』と呼んでいるのを見て羨ましがった貴文くんが、自分のことも名前で呼んでほしいと言いはじめたのがきっかけなのだ。
「僕がお願いしたから? 君に無理させているようだったら、やっぱりやめたほうがいい」
 そう言って、貴文くんは机にコーヒーを置いて眉間に小さくしわを寄せる。
 無理なんてしていない。たしかにはじめは恥ずかしかったけれど、いまはもう慣れた。それに、『若王子先生』だなんて、他の女の子たちとおなじ呼び方になるのは、なんだか恋人としては切ない。たかが、呼び方。されど、呼び方。
「あの、わたし、これからはちゃんと気をつけます。だから、その、これからもふたりきりのときは『貴文くん』って、呼びたいです」
 わたしが言うと、貴文くんはやさしく微笑んだ。
「うん。気をつけてね。ここに来るのは、佐伯君だけとは限らないから」
 そう言って、貴文くんはわたしを軽く、抱き寄せた。
「佐伯君はひどいことをするね。こんなに可愛い君の頭にチョップをするなんて。痛かったでしょう? 女の子に暴力を振るうなんて、佐伯君はいけない人ですね。僕ならそんなこと、ぜったいにしません」
 甘い声音で言われて、チョップが落ちた場所にくちびるを押しつけられたそのときだった。
「お、ま、え、ら!!」
 声のほうを向くと、忘れ物を取りに来たらしい瑛くんが、扉の向こうでぶるぶると肩を震わせていた。
 わたしと貴文くんは、おもわず顔を見合わせた。
「君のお父さん、怒ってますね。覚悟しますか」
 そう言った貴文くんの顔がとても情けなげに見えて、おとなの恋人のそんな姿に、わたしは思わず噴き出しそうになる。
「大丈夫です。わたし、こうみえてもいざとなると瑛くんには強いんです」
 そう言って瑛くんの向かいに立つと、わたしは軽く小首をかしげる。
「瑛くん、ほんとうにごめんなさい……」
 こうやってあやまると、なぜか瑛くんはいつもわたしになにも言えなくなるのだ。案の定、今日もくやしげに、くちびるを噛みしめている。
 すると、どうしてだろう。なぜか、貴文くんが瑛くんにあやまりはじめた。
「佐伯君、いつもこんなことされてるんですか? だとしたら、すみません」
「ねぇ、貴文くん、どうして貴文くんが瑛くんにあやまるの?」
「どうしてって。そうだ。やっぱり、『貴文くん』はやめておきましょうか? 今のを僕にやられると、理性を保つ自信がないです。佐伯君はすごいですねぇ」
「どういうこと? ねぇ、貴文くん、全然意味がわからないです」
「知りたい? そうしたらもう、僕のことを『貴文くん』なんて、呼べなくなるかもしれないよ?」
「ますますわからないです。これからも貴文くんのことは貴文くんって呼びたいです」
「そんなこと言わないで。ほら、まだ佐伯君がいるよ。ダメですってば」
 しばらくわたしたちの問答をぼんやりと眺めていた瑛くんだったけれど、自分の名前を出されたことに反応したのだろう、急に我に返って、「バカップルめ!」と吐き捨てるように言う。
「あ、佐伯君、帰るなら扉は閉めておいてくださいね。別に見ててもいいけど。あ、冗談ですよ」
 貴文くんが全部を言い終わらないうちに、扉は大きな音を立てて閉まった。瑛くんにしてはめずらしく、ばたばたと大きな足音を立てて去ってゆく。
「なんなんだろ、へんな瑛くん」
「君にはわからなくていいんですよ。彼は僕らにとってのジンジャーです。いいから、おいで」
「?」
 そう言われて抱き寄せられて、もう目を閉じて、だなんて囁かれる。
 よくわからないけれど、貴文くんのキスはいつも優しい。でも、今日のキスは、とびきり甘い気がする。
「貴文くん、好き」
 くちびるをあわせたままでつぶやくと、返事の代わりなのだろうか、舌の先を三回、軽く噛まれた。

19:36