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+++天秤座ラプソディ【R15】


 先週の日曜日、先生と買い物にでかけた。
 猫の砂、シャンプー、それから、一週間分の食料品。せっかくふたりで買い物をするんだからと、先生の家の近くのちいさな商店街でなく、わざわざ、足をのばしてショッピングモールまででかけてみた。
 モール内にある家族向けの広いスーパーのなかで、先生は手際よく買い物をすませてゆく。
 きっと、いつも買うものは決まっているんだろう。特売品なんかには目もくれないで、先生はあっというまに、カートにつんだ黄色いスーパーのカゴをいっぱいにしてゆく。
 気を散らして、あれこれ目移りするのはわたしばかり。
 ペット用品コーナーで、猫の砂をカートに積みこむ先生の横で
「ねぇ、先生、猫のおもちゃですって! 猫たちに買ってかえりませんか?」
 と、聞いてみれば
「そんなの、近所の空き地に生えてる猫じゃらしでじゅうぶんです」
 なんてさとされるし、ピンクとブルーのペアの歯ブラシを妙に真剣に選んでいる先生のとなりで
「あ、先生! ティッシュペーパーが5箱で250円ですって! これは安すぎます! 買うべきです」
 と、指させば
「や、小波さん、やる気まんまんですね?」
 と、にやにやした、へんな顔でわらわれた。
 ……そうじゃなくて!
 だけど、けっきょく、特売のティッシュペーパーは買うことになって、
「君がほしがったものなんだから、君が持って」
 なんて言われて、わたしがそれを、持たされることになった。

 買い物にもだいぶめどがついた頃、両手にスーパーの袋をぶら下げた先生は、
「じゃあ、少し喫茶店にでも寄って休憩していきましょうか? 外で飲むコーヒーはまた格別ですよね」
 と、わたしを誘った。
 そうですね、と応じたわたしは、
「じゃあ、どこで休憩していきましょうか」
 と言いながら、めぼしい喫茶店を探そうと周囲に目を走らせた。
 すると、見つけたのは喫茶店じゃなくて、文房具屋。
 わたしは、とあることを思い出して、あ、とちいさく声をあげた。
「先生、わたし、ちょっと買い物を思い出しました。あそこに行ってきてもいいですか?」
 文房具屋と呼ぶには少しスタイリッシュすぎる、ガラス張りの店を指させば、先生は
「いいですよ、つきあいます」
 と言いながら、そちらのほうに向かいはじめた。
「あ、先生はこなくていいです。わたしの買い物はすぐ済むから、そこのベンチでまっててください」
 わたしが、すこしあわててそう言うと、先生は
「いっしょに買い物にきたのに、別行動なんて許されません」
 と、断固とした口調で言いながら、わたしの瞳をじっと見つめた。
「えぇー、だけど、荷物も多いし、あの、このティッシュの箱も預かってもらえれば買い物するときに邪魔にならないし……」
 わたしがそう食い下がると
「まさか君は、先生に言えない買い物をするつもりですか?」
 って、静かな口調で聞いてくる。この人は、ふだんぼんやりしているように見えるけれど、ときおりこうして変にするどい。
 別に、言えない買い物、ってわけじゃない。だけど正直、ちょっとやきもちやきの先生には、あえては言いたくない、ってたぐいの買い物。
 それは、友人の氷上くんへの誕生日プレゼント用の品物。
 ふたりでデートしている最中に、他の男の子への誕生日プレゼントを買います、なんて言えば、先生、どんなに拗ねてしまうかしれない。
 わたしがちらり、と先生を見上げると、「それ、貸して」と言ってすでに買い物の荷物でふさがっている両手から、わたしが持っていた5箱入りのボックスティッシュをうばいとった。
「ほら、これで君の両手はあいたでしょう? こころおきなく、君は買い物に専念してください。僕のことは気にしないで」

 まもなくやってくる十月六日は、生徒会長の氷上くんの誕生日だ。
 まだ彼が生徒会長ではなく、そしてわたしも先生の恋人じゃあなかった一年生だったある日、教室の片隅でなにげなく、ふたりでおしゃべりしていたら、会話の流れから、ふと、わたしたちはお互いの誕生日が近いことを知ったのだった。
 たしか、あれは、秋の空の星のめぐりについての話をしていたときのことだったように思う。
 ふたりの生まれ星の位置が、偶然にも近いということに気づいて、なぜだか妙に感嘆の声をあげる氷上くんに、
「同じ星座ってことは、同じ運命だったりするのかな?」
 と聞いてみたら、彼は小さな声で
「そうだったら、いいのにね」
 って、はにかみながらつぶやいた。
 氷上くんの日頃の言動から想像するに、てっきり、「少女趣味だね」なんて笑われてしまうと思っていたから、そんな風に返答されたことは、わたしにとって意外だった。そして、あらたな発見だった。
 入学以来、とっつきにくくて、なんとなく敬遠してた、氷上くん。だけど、実際の氷上くんにすこし近づいてみると、普段見せているお堅いばかりのイメージとはぜんぜん違って、優しくて、ほんのすこしロマンチストな、いたって普通の男の子だった。そこから、急に、親近感がわいて、わたしたちは、お互いの誕生日にはプレゼントをかわしあうほどの仲良しになったのだった。
 一年目は土星のかたちのマウスパッドを。そして、去年、わたしから氷上くんにプレゼントしたのは、星の写真集だった。それを氷上くんは、とてもよころんでくれた。
 仲良くなったきっかけも、星の話からだったから、きっと氷上くんには星にまつわる品物をプレゼントするのがいいに違いない――
 いろいろと、彼に似合うものを考えながら、わたしは店内をくるくると、めぐった。
 先生はといえば、そんなわたしのうしろに、なぜかぴったりとくっついてくる。
 さっき、スーパーで買い物をしていたときには、わたしが指さす品物に興味をほとんどしめしてくれなかったくせに、なぜか、今回ばかりはわたしが手に取る品物をいちいちいちいち、のぞきこんでくる。
 ――まったく、選びにくいったら、ない。
 一瞬でもいいから先生を引きはがそうと、
「先生、学校で使うペンやノートなんかを、買わなくていいんですか?」
 そう提案してみても、
「ええ。そういうのは、もうじゅうぶんストックがありますから、べつに今日買わなくてもいいです。それにそういうものは、備品でまかなえるし。や、僕のことは気にしないで、買い物を続けて」
 と、涼しい顔で言いながら、ひょうひょうとしている。
 ……気になるよ!
 こうなったら、氷上くんには悪いけど、あまり、男の子っぽいものはやめておこう。
 女の子が使ってもおかしくないような、中性的で、そして学生らしい、あたりさわりのない文房具を買おう、と決意して、わたしは白い万年筆を手にとってみたり、革製のしおりの値段をたしかめたりしながら店内を歩いた。
 すると先生が、あ、っと急に声を上げて、片手の荷物をトスン、と床に降ろした。
「こういうの、いいですねえ」
 と、なにやら、黒い石のかたまりを手に取っている。
「先生、それ、なんですか?」
 わたしが先生の手元をのぞきこめば
「ん? これはね、隕石の文鎮ですよ、どうしてこんなところで隕石が売られているんだろう……?」
 と、その文鎮をしげしげ、まじまじとながめている。
 あ、それ、いいかも、なんてわたしは思う。
 おちついた色合いの石はデスクにあっても勉強の邪魔にならないだろうし、なにより実用的でもある。
 遠い宇宙からやってきた、神秘の石。
 氷上くんは、きっと、こういうの、好きだと思う。
「先生、それ、いくらですか?」
 わたしが聞くと、先生は、文鎮をひっくりかえして、眉根をよせて値札を読んだ。
「えっとね、3リッチです」
 わ、残念ながら、予算オーバー。1リッチ前後で考えていたから、断念せざるをえない。せっかく、いいと思ったんだけど。
 ちょっとだけ肩をおとすわたしに、先生が言う。
「じゃあ、これは先生が買ってあげます」
「へ? あ、それは、いいです! いいです!」
 だって、それはわたしが欲しいものじゃないんだし……。
 あわてて否定したわたしに、先生は実につるんとした、よどみのない口調で言ったのだ。
「だって、これ、氷上くんへのプレゼントにピッタリじゃないですか?」

 かくしてわたしの鞄のなかにおさまった、きれいにラッピングされた文鎮は、けっきょく、値段の三分の二を、先生が出してくれた。
 そんなことはしてくれなくてもいい、と必死にことわるわたしに向かって、先生は、妙にまじめな顔で言った。
「君だけからのプレゼントじゃない、っていうところに意義があるんです」
 その言葉の意味がわからなくて、顔にはてなマークをはりつけて首をかしげるわたしの手から、先生は1リッチだけを受け取った。
「先生も、氷上くんの誕生日をお祝いしたい、って、そういうことですか?」
 わたしがそう聞くと、先生は、
「そういうわけじゃないんですけどね」
 ……目をほそめて、そんな風に、苦笑したのだった。

 けっきょくすべての買い物を終えたあと、わたしたちは喫茶店には寄らないで、先生の部屋に直行した。
「ティッシュ5箱なんて、僕一人で消化しきれるわけないでしょう?」
 わけのわからない言いぶんで、なかば強制連行された、といっても過言ではない。
「ティッシュなんてくさるものじゃないからストックしておけばいいじゃないですか!」
 と、先生のよからぬ誘いをこばむわたしに、
「僕にひみつでコソコソしようとしたいたずら子猫には、お説教が必要でしょう?」
 ……そう言われると、わたしはもう、先生の言うなりになるしかなかった。

 お説教と、ティッシュペーパー消費に、さんざん付き合わされたあと、わたしは先生の腕枕のなかで、
「ね、先生。わたしの買い物、氷上くんへのプレゼントだって、どうしてわかったの?」
 と、聞いてみた。すると先生は、
「僕は先生だから、生徒のことはなんでもわかるんです」
 そう言って、ふとんのなかですこしだけ胸をはった。先生が動くと、ふたりがぴたりとくっついたところにほんのすこしの摩擦が生まれて、肌にちりっとやわらかい刺激がはしる。
「あそこでいきなり氷上くんの名前が出たから、びっくりしました。先生、ほんとうになんでも知ってるみたい」
 くすぐったさに似た快感に身をすくめながらわたしがそう言うと、
「ふふ。どうして僕が知ってたか、教えてほしい?」
 って、くすくす笑いをしながら、謎をかけてくる。
 わたしが先生をみあげてうなずくと、先生の口びるがわたしの耳に、そっと近づく。
「あのね、実はね……」
 聞けばなんと、先生と氷上くんの間には、『カレーパン協定』なるものが存在しているらしい。
 そういえば、一年生のころだっただろうか。廊下で、なにやら大声を出して先生を呼びとめている、氷上くんを見かけたことがあった。それが、記念すべき、『カレーパン協定』の第一回にむすびついたきっかけ、なんだそうだ。
 とにかく、先生は、その『カレーパン協定』の会合中の世間話から、氷上くんの誕生日が近いことや、一年目からわたしたちがプレゼントの交換をしていることを知ったらしかった。
「ねぇ先生、その、『カレーパン協定』の活動内容ってどんなことをするんですか」
 と聞いてみれば、先生は
「氷上くんが僕の欲しい購買のパンを調達してきたときに限って、彼が聞いてくる高校教育課程外の質問に、僕が回答する、という協定です」
 と、悪びれもせず、平然とこたえる。
「先生、そんなことして、いいの?」
「いいんですよ。任務があったほうが、目的を達した時に、より彼の力になるでしょう?」
「先生、ほんとうは自力でパンを調達するのが面倒なんでしょう?」
 あきれ声でそう聞くと、先生は話をごまかすみたいにして、わたしのからだをぎゅっぎゅっ、とつよく抱き寄せた。
「……コホン。それでね、もう3年近くもそういうことを続けていると、氷上くんから、勉強の話以外もいろいろ聞くようになるんですよ」
 先生は、抱き寄せたわたしの髪に口づけながら話を続ける。
「どんな?」
「うん、近頃では、彼の好きな女の子の話も聞くようになってね」
 あの、氷上くんに、好きな女の子? わたしは興味を感じて、先生のほうにわずかに身をのりだした。
「それで?」
「……彼は、片思いの女の子からもらえる誕生日のプレゼントを、毎年、ものすごく楽しみにしているらしいですよ?」
「へー!! 氷上くんにそんな人がいるんですか。じゃあ、今年は、わたしなんかがあげなくてもいいのかな……?」
 そう言うと、先生は、わたしの腰のうしろに手を回しつつ、アハハ、って声をたてて楽しそうに笑った。
「そんなこと、ないんじゃないですか?」
 そして、先生はもういちどわたしのからだを自分の下に敷きながら、ティッシュの箱をさりげなく、枕元にひきよせた。

「氷上くん、お誕生日おめでとう!」
 廊下で氷上くんを呼びとめると、そこを通りかかったハリーが、なぜか『ヒュウ』って口ぶえをならして過ぎていった。
 氷上くんの頬に、赤みがさす。
「あれ? 熱でもあるの?」
 わたしがそう聞くと、氷上くんは「なんでもないよ」って、ますます顔を赤くした。
「あ、これ」
 わたしが、プレゼントを差し出すと、氷上くんは目を丸くした。
「……嬉しいな。まさか、今年ももらえるとは、思っていなかったよ」
「え、どうして? 一年生のときに約束したでしょう?」
「うん、だけど……」
「だけど?」
 オウムのように答えをかえすと、氷上くんは、なぜだかすこしバツが悪そうに、わたしから視線をはずした。
「その、君、好きな人ができたんだろう?」
「へ……っ?」
 今度はわたしが目を丸くするばんだった。
「あの、だって、このあいだね、とある人から、君に、ね。おつきあいしている人ができた、と、聞いたもんだから」
 氷上くんは、いつもの凛とした声をひそませて、もごもごと、いいづらそうに、口ごもっている。
 しかし、誰、そんなことを言ったのは……。わたしに恋人がいることは、まさにその恋人しか、知らないことだ。
 まさか、本人が言ったりはしないだろうし。……いや、まさか……ね……?
 素直にうなずくこともはばかられて、わたしはとりあえず、彼の手のなかにプレゼントを押しつけた。
「……えっと、とにかく。氷上くん、よかったら、うけとって。ね! わたしからじゃ、物足りないかもしれないけれど」
 わたしがそう言うと、今度はふたたび、氷上くんが驚く顔をする。
「どうしてだい?」
「だって、氷上くん、好きな人がいるんでしょう? その人からじゃなくて申し訳ないけど」
「……!? なぜそれを?」
「……あ、もしかして秘密だった? あの、わたし、誰にも言わないから、安心して?」
 氷上くんはため息をついた。
「……なんだか、僕にはたった今、いろいろなことがわかったような気がするよ……」

 わたしたちが廊下でそんなやり取りをしていると、どこからあらわれたのか、ふいに若王子先生が声をかけてきた。
「あ、氷上くん、いいですねえ、小波さんからのプレゼントですか? 青春、青春。あ、そうだ。プレゼントの中身を当ててみましょうか? きっと、それ、宇宙の石、だと思いますよ」
 それだけ言うと、先生はひょうひょうとした足どりで、廊下を北方面に去っていく。
 神出鬼没のその白衣の後姿を、ぼうっとふたりで眺めていたら、ふいに先生が二十メートル先あたりで急に振りかえって言った。
「あ、氷上くん。今日はお誕生日でしょう? おめでとうございます。今日のお昼休みは、君のためにあけておきます。今日だけはパンなしでも質問、なんでも受けつけますよ?」

 すると、氷上くんは、小さな、小さな声でつぶやいた。

「せっかくの機会なのに、ほんとうに聞きたいことは、聞けないような気がするよ。僕は彼に、いったいなにを聞いたらいいんだろう?」



初掲 20081006
加筆後、再掲 200903

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