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+++きたかぜと、太陽 【R18】


 金曜日の夕方のことだ。
 私の部屋に入ってきた先生が、ベッドのうえのわたしを見るなり、開口一番、言ったのは
「まったく君は、なにをやっているんですか」
 だった。
 なにをもかにをも、あったもんじゃない。
「風邪をひいて、寝ています」
 わたしがそう、素直にありのままを答えると、先生はあきれたように首をすくめて、
「そんなの見ればわかります」
 と、みけんの間にしわをためながら答えた。
「ならば聞かなくてもいいじゃないですか」
 わたしがそう言うと、先生はこちらをキッとねめつけて
「僕が言っているのはそういうことじゃありません」
 と、普段の先生らしくない、やたらカチリとしたきびしい口調でそう言った。
 ……なぜ、ここで、病み上がりのわたしが、先生に怒られていなければならないのかがわからない。
 ぷうっと頬をふくらませて「じゃあ、どういうことなんですか?」と、負けずにわたしも先生に言い返した。
「わからないの?」
 そう言いながら先生は、わたしの部屋の戸口から、たったの三歩でわたしが寝ているベッドの枕元までやってきた。たぶん、わたしが歩けば五歩は必要だと思う。測ったことはないけれど。
 先生は、わたしの顔を見下ろしながら、いつも着ている茶色のウールのコートを脱いだ。そして、器用に裏返してくるくるっとまとめてしまうと、ベッドの脇の床に寄せて置いた。
 そして、すっとひざまずく。そのまま、わたしの瞳をじっと見つめて、顔元にそっと手を伸ばしてきた。
 熱でも測られるのかな……と思って、わずかに目を伏せかけた瞬間、ピシッ、と、おでこにでこピンが飛んできた。
 は……?
 思ってもいない先生の行動に、つい声が大きくなる。
「ぼ、暴力反対っ!」
 先生はあきれたようにため息をつく。
「これは暴力じゃないです。おしおきです」
「どうしてわたしが、おしおきされなきゃいけないんですかー! むしろ、いたわってください。熱がでて、ひどい目に遭ってたんですよ」
 わたしが口をとがらせて文句をつらねると、先生はすこしきつめの口調で言った。
「僕を心配させた、バツです」
「えええ~?」
「えええーじゃないです。五日も休むような大風邪ひいて。僕がこの間、あれだけ言ったのに」
「へ? なにを……?」
「なにを、じゃないでしょう? ちゃんと、おふとんをかけなさいって」
「あ……」
 先生は、でこピンをしたその場所に、自分のひとさし指をくっつけてきた。そしてやさしく、くるくる円を描くようになぜはじめた。先生の家の猫たちは、みんなこの眉間ぐりぐりが大好きだ。
「先生、わたし、猫じゃないです」
 わたしがそう言うと、先生は、
「そうですね。君は猫じゃないです。猫たちのほうがよっぽどいい子です」
 ちょっとわたしをバカにしたみたいに、そんな風に言う。……なんだか、しゃくぜんとしない。
「……だって、あれは先生が」
「僕が? なに?」
 そう。先生が悪いと思う。っていうか、あれはぜったい、先生のせいだ。

 先週の日曜日は、朝から曇って、木枯らしがびゅうびゅうと吹き荒れていた。
『たまには、映画でも見に行こうか』
 なんて先生にさそわれて、待ち合わせ場所に出向いたのはいいのだけど、駅前広場で落ち合ったとたん、わたしたちはあっという間に冬将軍のまえに屈してしまった。
「寒すぎです。予定変更。やっぱり今日は僕の部屋でゆっくりしましょう」
 と言う先生の言葉に、わたしは一も二もなく、とびつくようにうなずいた。
 わたしたちは、口々に、さむい、さむい、と口ばしりながら、こけつまろびつするかのごとく、先生のぼろアパートにころがりこんだ。
 そこまではよかった。そう。問題はそこからだった。
「あれ、小波さん、壊れちゃいました」
 わたしが脱いだコートをハンガーに通しながら壁のかもいにかけていると、先生が、旧式の石油ストーブの前で情けなそうにつぶやいた。
「え? まさか、ストーブが……?」
 こんな寒い日に、しかもすきま風吹き荒れる先生の部屋に、暖房器具がないなんて、致命的だ。まさか、部屋のなかでコートを着て一日過ごす、っていうわけにもいかない。わたしは壁にかけたコートと、先生を交互にみつめた。
「どうしよう」
 先生は、うつむいている。
「どうもこうも……。先生……」
 まぁたしかに、この古い石油ストーブは、いつ壊れてもおかしくないような年代物だった。きけば、森林公園近くに不法投棄されていたこのストーブを、決死の覚悟で先生が救い出した、ということだった。
「決死?」
 と首をかしげてわたしが問うと、先生は、
「流行のエコ生活ですよ、小波さん!」
 と、得意そうに胸をはった。
 暖房器具もない寒々しいこの部屋で、ひとり冬を越そうとしていた先生は、とある日曜日の朝、森林公園のすみっこで、このストーブを発見したらしい。いくら家具を増やさない主義の自分とはいえ、さすがに暖房器具くらいほしいな、と思っていた矢先の先生は、渡りに船、とよろこんで、このストーブを両腕に抱えてえんえんと、このアパートまでの道のりを歩いたんだそうだ。
 なんと三時間もかけて。
「おかげで、次の日、学校休んじゃいましたけどね」
「……はぁ。……で、それが何年前の話なんですか?」
「んー、たしか五年ほどまえでした」
 ……五年ならば、しかたない、というものだろう。
 本来ならば、五年も前に寿命をむかえていたはずのストーブなのだ。それが、先生の手によって延命措置をうけ、そしていよいよわたしたちの目のまえで、天寿をまっとうした、というわけだ。
 いやしかし。それがわざわざ、今日じゃなくてもいいんじゃないだろうか。よりにもよって、ラジオからきこえる天気予報では『今年いちばんの冷え込みです』なんて、凛とした、寒々しい声のキャスターが告げている。
 わたしたちは、しんと冷えるストーブを目の前に、途方に暮れた。火の灯らないストーブは、ただの鉄のかたまりでしかない。目の前にあるだけで、ひえびえと余計に寒く感じられる。
「先生、ほんとに、どうしましょう……」
 わたしがなさけなげな声を出せば、
「じゃあ、今日はずうっとおふとんの中で過ごせばいいです」
 つとめてあかるく、先生はそう言い放ったのだった。

 かくして、先生の部屋のまんなかには昼のひなかからふとんが敷かれ、そしてわたしたちは、一日中、ごろごろしていられるようにと、先生があらかじめ、ペアで揃えてくれていたネコの柄のパジャマに着替えた。
 実は、わたしたちがこのパジャマを着るのははじめてだった。高校生のわたしは、気軽に外泊ができる身分じゃないので、先生のこの部屋に泊まることはまずなかったし、先生とおふとんの中で過ごすときは、一度服を脱がされてしまうと帰るときまでたいてい、着衣を許されないからだった。
「似合います。買っておいてよかったです」
 満足そうにほほ笑む先生にも、ネコ柄パジャマが妙に似合っている。
 でも、とにかく寒かった。お互いに見とれている場合じゃなく、わたしたちはすぐに抱き合ってふとんのなかで身をよせあった。
 映画館のとなりにある、小さな公園ででも食べようと思って作ってきたサンドウィッチも、ふとんのなかにもぐって食べた。
「お行儀が悪いですけど、今日だけはしかたないです」
 そう言いながら、ふとんの中にパンくずをポロポロこぼす先生は子どもみたいだった。
 先生、ちょっと動かないでくださいね。そういって、わたしは先生のほっぺのパンくずを口びるですくい取った。素直にわたしにされるままになった先生は、静かに目を閉じていた。さ、取れましたよ、わたしがそう言うと、それを合図にしたかのように、先生の顔がするりと横に動いて、わたしの口びるに先生の口びるが重なった。
 先生のキスが、わたしのからだのちからを全部、全部うばってゆく。そのまま、わたしは先生にゆっくりと押したおされた。
 新品だったネコ柄パジャマはお互いの熱や摩擦であっというまに皺だらけになってしまって、しまいにはどこに行ったかもわからないくらいにはねとばされて、ふとんの隅でかたまってしまった。

「先生、あつい……」
「だめ。ちゃんと、かけて」
「でも、あついの」
 先生に揺さぶられながら、わたしは、なんども、足や手でふとんをはねのけた。
「ほら、風邪ひくから。いくら今あつくても、部屋の温度はすごいことになってるんですよ? 下手をすれば零下です」
「……そんなの、いい。あついの……」
 そりゃあ、先生はまだいいかもしれない。動くたびにふとんのすき間から入る寒風のちからを借りて、からだを多少でも冷やすことができるんだから。
 だけど、わたしのほうはと言えば、敷ぶとんと、汗だらけの先生にはさまれていて、さらにその上には掛けぶとんがかかっている。そんな状態では、わたしのからだのなかには熱がたまる一方だ。まったく、たまったものじゃない。
「おねがい、せんせい、あついの。たすけて」
 あつさにあえいで暴れるわたしを、先生はぎゅっと押さえつけて動けなくした。
「ほら、もう少しで終わります。だからもうちょっと我慢して」
 もうちょっとの我慢、って言ったくせに、それからも先生はわたしのうえから、しばらくのあいだ降りなかった。ようやく終わるころには、わたしはすっかりくたくたにさせられていて、いいかげん、汗だくになっていた。
「あっ、小波さん、まって!」
 終わったあとの無防備な先生のすきをついて、わたしは先生の腕から抜け出した。
 すばやくふとんのすみにかたまったネコ柄パジャマを拾いだし、上着だけをかるく身につけるとふとんから飛び出した。
 スライディングよろしくすべりこみ、台所のつめたいリノリウムの床にくたりとねそべる。
「うー。きもちいい」
 床にすりすりとからだを押しつけるわたしを、先生は羽織るものも羽織らず、すぐにおいかけてきて、両腕でひょいっと拾い上げた。そして、軽々とふたたびふとんに運び込むと、自分の胸のなかにおさめてくるみこんだ。
「……まったく君は。なにをしでかすかわかりませんね。いくらあついからっていって、床にすりすりするなんて、君は猫ですか」
 さっきまで、あんなにあつかったのに、ふとんを抜け出した一瞬にしてからだは冷えた。
「だって、先生があつくするんだもん」
「なに? 僕のせい?」
「うん。先生のせい」
 先生は、もう二度とふとんから出さないようにするかのようにわたしを自分の腕のなかにしっかりと拘束しながら、すべてをあきらめたようなため息を吐き出した。そして、こう言ったのだった。
「そうそう。全部、僕が悪いんですよ」
 そして、わたしはそのせいだかなんだかわからないけれど、見事に翌日の月曜日には熱をだした、というわけだった。

「だから、全部先生が悪いと思います」
「……。まったく君には、かないませんね」
 あきれたようにそう言いながら、先生はふっとまなじりを下げた。あ、と、思うまもなく、先生の顔がわたしの顔にちかづく。
 そのまま先生は、あわやかに、よそゆき風の、お行儀のよいキスをしてきた。
「あ、先生……」
「うん。五日ぶり。心配しました」
 そう言って先生は、わたしの髪のなかに指を差し入れて、くしゅくしゅっとかき回した。
「ね、ところで小波さん。いいかげん、おふとんから出て来てくれませんか? もう、体調は大丈夫なんでしょう?」
 まあ、先生がそういうのも無理はない。
 わたしは、先生が来てからというもの、ふとんの中にもぐりこんだまま、ほんの一度たりとも肩から下をふとんの外にだしていないのだ。
「ね、出ておいで。君を、だっこさせて」
 先生は、優しい声でさそうけど。
「恥ずかしいから、いや」
 わたしがそう答えると、先生は目をまるくして「なにが?」と聞いてきた。
「……パジャマ姿」
「え……?」
 先生にとっては、思いもかけなかった答えだったようで、びっくりまなこを、軽く数回、パチパチパチっとしばたたかせた。
「ねぇ、小波さん、僕、君のパジャマ姿を見るのははじめてじゃないよ? そもそも、先週見たばかりだし」
「それはそうですけど……」
 ここ、いいですか? と聞きながら、先生は、ベッドの脇に腰をかけた。そして、からだをよじってわたしの顔を覗き込む。
「……なにが恥ずかしいの?」
 先生の瞳がまっすぐにわたしに向かってくる。わたしから、なにか答えを得ようとしているときの、顔だ。
「あ、あの…… なんていうか」
「うん」
「あの、先生の部屋で、パジャマ姿になるのとは、ちょっとわけがちがいます、よ」
「なにが違うの?」
「あの、だって、今の先生は、先生の姿のままなんですもん」
 先生はますますわけがわからない、という顔をしてこちらをじっと見つめる。
 でも、そうなのだ。恥ずかしい。
 このあいだ先生の前でパジャマを着たときは、先生も同じく、パジャマ姿だった。しかも、おそろいの。だけど、今は違う。わたしだけが一方的に無防備なのだ。
「あの。とにかく、恥ずかしいんです」
 うまく言葉にできないのがもどかしい。わたしはきゅっと首をすくめて、口のあたりまでを隠すようにして、さらにふとんにもぐりこんだ。
 ――わたしたちのあいだには、いつもいつも『差』という壁がたちはだかる。それは、年齢の差だったり、経験の差だったり、教師と生徒である差であったりする。それらは、もう、しかたないと、わたしも先生も割り切っている。わたしたちがお互いに恋を告白しあった日から、あたりまえのように存在するものだから、受けいれて、なじませながらふたりで歩んでいくしか、ない。だから、もう、それについてはとやかく言わない。
 だけど、今。この場所で、わたし一人が無防備であるのは耐え難い恥ずかしさをともなう。努力でどうにもならないことならともかく、努力で埋められる差を、そのまま放置している自分が恥ずかしいのだ。
 風邪をひいて。しわしわのパジャマで。あたたかいベッドのなかで眠ってばかりで、寝汗をかいたからだは、すこしまだ、べたべたしている。
 そんなわたしと、今の先生は、つりあわない。こんなよれよれ姿なんて、すきな人に見せたくない、よ。
 そんなわたしのこころを知らず、先生が、そっとふとんの端に手をかける。むりやりではないけれど、ゆっくりとふとんをはがして、わたしを引き出そうとしているのだ。
 わたしは、それに抵抗する。いやいや、と首をふって、先生の手を拒否する。
 すると、先生はふうっとため息をついて
「先生、女の子の気持ちはわかりません」
 と、小さな声で、つぶやいた。
 ぴょこ、と、ふとんから目だけだして先生を見上げるわたしを、先生は思案顔で見おろしている。
「せっかく来たのに。だっこもさせてくれないんだ……」
 さらに、そうつぶやく先生の声は、どことなく所在なさげだ。
 そりゃあ、わたしだって先生にだっこはされたい。一週間、熱にうなされながら、いつもいつも思い浮かべていたのは、この人の顔だ。頭がいたくてくらくらしておなかもいたくて吐き気もして、つらくてつらくて涙が出そうなとき、先生のやさしい胸のなかを思い出しては、はやく元気になってだっこしてもらいたい、キスされたい、って思っていた。
 だけど、やっぱり今は恥ずかしいし、いまさら素直にふとんから出るタイミングなんて、もう、とっくに失っている。
 どうしよう、先生、許してくれないかな、と、ふたたびすがるように先生をみあげてみれば、先生の瞳には、なぜかとつぜん、理性を飛び越えた輝きが、あった。
「せん、せ、なにその顔」
 まさか、こんな場所で、そんなことはないよね? と、おびえをにじませる声を出すわたしに、先生は、妙につややかな笑顔で言った。
「わかりました。君が出てきたくないというなら、それはそれでかまいません。でも、僕は僕の方法で君をおふとんのなかから引き出します」
 そう言うなり、先生の右手が、わたしの首元をするりと滑って、まるで猫みたいなしなやかさでふとんのなかにはいってきた。
「や! なに? 先生! ……だめ!」
 両手で先生の手の動きを遮ろうとしたけれど、先生の筋ばった手首は、わたしのちからごときでははねとばせない。
 手を拒否するのが無理なら、と、身を反らせて先生に背中をむけようとしたけれど、一瞬先に先生の左の手のひらがわたしの右肩をおさえこんでしまって逃げられなくさせられた。
 わたしのささやかな抵抗をかんたんにねじふせた先生の右手が、ふとんのなかで、左の乳房のふくらみを、すうっとやさしくなぜ上げる。
「……っ!」
 思わず甘い声をあげそうになるのを、奥歯の手前でおしとどめた。
「あれ。ブラジャーつけてないの?」
 先生に、小声でささやかれると、からだの奥が甘くわなないた。
「だって、風邪、だから」
 先生は、やわやわとゆるやかにわたしのふくらみをもてあそびながら、思い切り顔を近づけてきて、やさしく聞く。
「風邪をひいた女のひとは、みんなブラジャーをつけないの?」
 先生のまつげは、長い。こんなにまで近づいて話しかけられると、先生のまつげの先が、わたしの顔に触れてしまう。きめの細やかな先生の肌を目の前に見つめながら、わたしの首すじが、しぜんに反りかえってゆく。
「そう、じゃなくて……」
 ふとんのなかでうごめく先生の指先が、わたしの乳首の先端をとらえて、そよそよとなぜた。パジャマ越しのもどかしい刺激に、わたしはのどを鳴らして身をよじる。
「あっ……」
「小波さん。そんな声を出したら、お母さんが様子を見に来ちゃいますよ?」
「いや、だめ。先生、だめ。もうやめて」
「大丈夫。君が我慢すればいい話でしょ。声を出さなきゃいいんです。できますか?」
 布のうえからの遊ぶような指の動きと、先生の声が、わたしをとろとろに溶かしてゆく。
「せんせ、いじわる」
「いじわるは、君です」
 ひたすら、布の上から左の乳首ばかりをゆっくりとこすられて、わたしのからだの奥の熱がはじけだしそうになってゆく。もっと、さわってほしい。もっと、ふかく。もっと、もっと。
 先生は、わたしの願いを知ってか知らずか、かすかなちからで触れつづける。
「どう?」
「いや、いや、せんせい……」
「なにが、いや?」
 ……わたしの理性は、もう、とっくにはじけていた。
「……その、さわりかた……」
「うん、じゃあ、どうしてほしい?」
「……ちゃんと、さわって」
 ふふふ、と、先生は笑った。
「どんな風に?」
「もうすこし、つよく」
 ……バカみたいなおねだりの言葉だなぁ、と自分ですらあきれてしまう。でも、先生は嬉しそうだ。
「素直な小波さんが、好きです。可愛いです」
 好き、という言葉に、からだの奥がひらく。
 わたしは、自分でパジャマの第二ボタンまで外して、先生をさそった。
「うん。ほんとうに君は、いい子です。やっぱり猫より、いい子です」
 先生は、ふとんのなかで、はしたなく胸をはだけさせたパジャマの布のしたに手のひらを差し入れてきた。そして、いつもわたしが望むような、わたしが好きな触れ方でゆっくりと胸の先の愛撫を続けた。
 先端をさするように。かたまりをつまびくように。時には、親ゆびと人さしゆびにはさむ。
 今度は、きちんと右の胸にも触れてきてくれた。
 そうされていると、じわじわと、背中に汗がにじむ。ふとんのなかの温度が、ゆるい速度であがってゆく。先生を見つめてみれば、先生の狭い額にも、かすかに汗が浮いていた。
「せんせ、あつい……」
 我慢の限界をむかえて、わたしはついに、ふとんをはねのけながら先生の首筋に巻きついた。

「名づけて、北風と太陽作戦。君は毎回これで失敗するんです」
 まんまとわたしをふとんから引き出した先生は、やたらとほこらしそうに笑っている。
「むー。先生、ズルい」 
 口びるをとがらせて拗ねるわたしに、先生は、やさしく口びるをあわせてきた。そして、両腕のなかにわたしをすっぽりとおさめながら、
「明後日は僕の部屋に来られる? これの続きをしよう? ね?」
 と、小さな声でささやいた。
「はい」
 素直にうなずくわたしが嬉しいのか、先生は両腕のちからをきゅっと強めた。
「あ、そうそう。こないだね、ファンヒーターを買いました。これで、一日中はだかでいても風邪ひきません」
「わたし、一日中はだかってのはいやだなぁ……」
「あ、でも」
 先生は、急に声のトーンを通常にもどした。
「さすがに、病み上がりだと外出をご両親に許してもらえないかな?」
「うーん、どうでしょう?」
「じゃあ、あとで小波さんのお母さんに僕からお願いしてみようか?」
「なんて?」
「ええっと。一週間分の遅れを取り戻すための、補習をします、なんてどう?」
「嘘つき」
「大人は時には嘘だってついちゃうんです」
「先生、いつもそればっかり」 
 わたしたちは、声をたてて笑いあった。
 そして、先生は、ピンクのパジャマの襟元を、丁寧に指先なおしてくれながら、「こんなにかわいくて似合うのに、君はなにが恥ずかしかったの?」と、不思議そうにつぶやいた。

 そのあとのわたしたちのことをすこし話しておこうとおもう。
「長居しました。帰ります」
 と言って玄関先でスリッパをそろえる先生を、母は必死でひきとめた。
「あさっては美奈子がお世話になるんですから。食事くらい召し上がっていってください」
 先生が母に、日曜日に特別に補習をする、と告げたとたん、母は非常に恐縮してしまって、なにかお礼を、せめて食事を、と言ってきかなくなってしまったのだ。
 先生は困ったような、嬉しいような、なんとも言えない顔でわたしをちらりと見る。
 わたしだって、なんて言えばいいかわからない。先生を引きとめていいのか、それとも、母をたしなめるべきなのか。
 そんな風に迷うわたしの顔を見て、先生が、急に意を決したような顔をして、
「や、しかしその、まだ学校に残してきた仕事がありまして……」
 そう断りかけたとき、母は先生の言葉にかぶせるようにして、今晩のメニューの名前を口にした。
「今日はシチューにしたんですよ、先生」
 そう言ったとたん、先生は見事といえるくらいかんたんにさっきまでの断りをくつがえして、「じゃあ、ご馳走になっていきます」とぬけぬけと言い放ったのだった。そして、自分でそろえたスリッパをふたたび、履きなおしてしまった。
 
 不思議なほど、先生はわが家の食卓になじんだ。
少しだけ恐縮しながらも、しっかりシチューのおかわりをして、ついでに父にすすめられたビールまで二杯も飲んでしまった。
 その間、終始わたしは、よれよれのピンクのパジャマに、猫柄のハンテンを羽織った姿のままでいたけれど、もう、どこにも恥ずかしさも違和感もかんじたりはしなかった。
 その理由を一言でいってしまうと、この団欒に家族の対等さを見てしまったから、にほかならない。この空間には、おかしなほど、わたしと先生の間にある、「差」が存在しなくなっていた。
 先生は、まるでなんどもうちで晩御飯を食べたことがある人のように、自然にふるまい、そして幸せそうにわたしの家族のなかにとけこんでいた。
「ねえ、先生」
 わたしがここで、この人のことを先生、と呼ぶのが不自然なほどに。
「なんですか? 小波さん」
「……ほっぺに、ゴハン粒が、ついてます」
「そう。じゃあ、これはお弁当にして持って帰ろうかな」
 先生ののんきな言葉に、父も、母も、わたしも笑った。

 もしかすると、いつかの将来、先生はここにいるのがあたりまえになるのかもしれない。
 わたしはそんな未来を想像する。
 そして、わたしはこの家からでて、ときどき先生とふたりでこの家におとずれるんじゃないかな、と、そう思う。きっと、父がすすめたビールを何杯も受けて、酔っ払ってしまった先生と、それから先生のお嫁さんになったわたしは、この家に泊まるのだ。
 今のわたしの部屋に、ふたつのふとんをしいて、父と母が寝静まった真夜中に、わたしたちは、ほほ笑みあいながら、声を殺して、アルコールのにおいが混じるキスをする。
 夢みたいな夢をみながら、わたしがぼんやりしていると、父が
「美奈子、また熱がでてきたんじゃないか?」
 と、心配そうにたずねてきた。
 そんな父の言葉に、母が、からかうように返す。
「違いますよ。美奈子は先生に見とれているんですよ」
 上機嫌に酔った父は笑って
「そうか。美奈子は先生が好きなのか」
 そう言いながら、先生にもう一杯、と、ビールをすすめた。
 先生は、もうおなかいっぱいです、と断りながら、上手に酔ったふりをして「僕も小波さんを好きですよ」と、両親のまえでつるりとそんな告白までしてのけている。
 幸せに、目がくらむ。
「僕が大好きな生徒ですから」
 先生が、じっとわたしを見つめる。
「日曜日は、責任を持ってお預かりさせていただいて、しっかり面倒をみさせていただきます」
 そう言いながら、先生はちらりと、わたしにだけわかる目配せをした。
 父と母は、先生の思惑なんて知りもせずに
「先生、どうか美奈子をよろしくお願いします」と、目の前の担任教師に頭をさげた。

 玄関で先生を見送ったあと、わたしはすぐに自室に戻った。そして、戸口からベッドわきまでの歩数をかぞえる。三、四、五。やっぱりわたしが歩けば五歩だ。先生の三歩。わたしの五歩。わたしと先生のあいだには、どうしたって差があるけれど、それはもしかしたら、長い人生のあいだにおいては、とるに足らないことかもしれない。
 ベッドわきに何歩でたどり着けるか、なんて、そんなことが人生にはたいして必要なことでないように。
 五日間、眠り続けたベッドにふたたびもぐりこみ、わたしはそっと目をとじた。
 気づかないうちにするりとわたしのうえに訪れた眠りは、やさしくて、深かった。


(再掲にあたり、『先生が、お見舞いに来た日』を改題)

2008.10.26 初掲
2009.03 少々訂正ののち、再掲

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