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ランチタイム

 
 
 
ほんとうは毎日、好きなひとにお弁当を作ってあげたいけれど、わたしたちの場合はしょっちゅうというわけにはいかない。
いつだったかの朝、先生のためにお弁当を作っているところをお母さんに見つかったときは、『彼氏できたの?』ってさんざん追求されてやっかいだった。
『彼氏、できたよ』ってちゃんと報告したいけれど、そして、お母さんにわたしの年上の恋人を自慢したいけれど、でもやっぱり、今はむり。わたしは高校生だし、先生はわたしの担任だ。もう少し先まで、せめてわたしが卒業するまでは、わたしたちの恋はひみつにしておかなければならない。
そんなわけで、月に一回、お母さんが町内会の早朝掃除当番でいない朝だけ、わたしは先生にお弁当を作る。
その日、いつもより少しだけ朝早く登校すると、もっと早くに出勤して化学準備室の鍵をあけてわたしを待ってくれている先生にお弁当を届ける。
そこでわたしは先生にお弁当をわたして、それから自分のぶんのお弁当もあずかってもらって、ちょっとだけ頬をよせて、一回か二回くらいは軽いキスをして、声をひそめてくすくす笑いあって、それからわたしたちは始業十分前のチャイムとともに素知らぬふりで『先生と生徒』の顔に戻る。

この日は、ひと月に一度だけ、先生とランチタイムを共にできる日でもある。
本当は毎日でも一緒に食べたいけど、そんなに化学準備室に入り浸っていたらウワサになって、先生もわたしも困る。だから、ひと月に一度だけ。
先生はやさしいから、お昼に化学準備室を訪れる生徒をこばまない。十二時すぎになると、化学準備室の鍵はだいたい、あいている。
なかには、お昼休みは自分の時間とばかりに、生徒との交流はいっさいもたず、準備室に鍵をかけて過ごす先生もいるというのに、若王子先生はぜったいにそんなことはしない。
来るものこばまずで、誰とでもニコニコ楽しそうにおしゃべりをしながら、先生はのんびりとお昼休みを過ごす。それは演技なんかではなく、先生はこころの底から生徒たちとの交流を楽しんでいる。
そんな先生のお城であるこの化学準備室の鍵がお昼休みになってもあいていないときは、先生が仕事の用事でいないときか、または教頭先生に呼び出しをされているとき、あとは、わたしひとりを招いてくれる、このひと月に一度のランチタイムのときだけなのだった。

誰にも奇襲をかけられないよう、先生はこの日、部屋に鍵をかけて、居留守をつかって不在のフリをする。そして、わたしの手のひらに隠されているのは、なまり色のちいさな鍵だ。化学準備室の合い鍵である。わたしは、廊下に人がいないことを軽く確認すると、これを使って手早く化学準備室の扉をあける。
そして、忍者にでもなれそうな身のこなしで、ささっと部屋に入ると、ちょっとあわててすぐに内鍵をかける。
だいたいいつもは鍵をかけるわたしの背中に先生がぴったりとくっついきて、頭のてっぺんにキスをしてくれたりして、甘い気持ちにさせられたりするのだけど、今日は勝手がちがった。
部屋に、無人の気配がただよっている。鍵をかけ終えて、「せんせ?」と呼んでみても返事はない。
授業が長引いているのかな? それとも、職員室で教頭先生につかまっちゃった? または、廊下でファンたちに囲まれちゃったのかな?
いずれも今までに数度あったパターンだから、とくに心配はしないけど、おなかも空いているし、ふたりで過ごせる時間だって短い。だから早く帰ってきて、先生。

先生専用冷蔵庫から、お弁当を二つ出して、ぼんやりと先生を待った。電子レンジにかけるのは先生が戻ってきてからでいいかな。
先日、先生はついに電子レンジまでもをこの部屋に備えてしまった。粗大ゴミコーナーからの拾いモノらしい。これの持ち込み設置については、教頭先生にさんざん文句を言われたらしいけれど、『電磁波の実験に使うんです』と無理やりな理由で言いくるめてしまって、けっきょくここに置くことを承諾してもらっていた。電磁波については化学でなく、物理の単位であることは明白なんだけど、教頭先生ももう、これ以上先生を相手にするのに疲れたのかもしれない。なんたって教頭先生にとっての若王子先生は、それどころじゃないツッコミポイントがありすぎるらしい。うわさによると、積み重なる若王子先生のいろいろな素行のせいで、さいきんの教頭先生は、胃のお薬が手放せなくなっているそうだ。
――うん、やっぱりわたしたちのことは、ぜったい誰にもひみつだ。万が一、教頭先生の耳にでも届いたらたいへん。これ以上教頭先生の心労を増やすわけにはいかない。わたし、こう見えても案外教頭先生のことが好きだ。というか、直接お話したことはないけれど、若王子先生に言いたいことは、あんがいわたしたち、わかちあえるかもしれない。いつか、わたしと若王子先生の関係を公にする日がきたら、教頭先生とわたしは、けっこう気があってしまうんじゃないだろうか。
そんなことをつらつら考えながらしばらく待っていたけれど、十分たっても先生は現れなかった。せんせ、まだかなぁ。ほんと、おなかすいたのに。
もう、先に食べちゃおうかな。そんなふうに思ったときだった。かちゃん、からからんと軽い音がして、化学準備室の扉が開いた。
「小波さん、お待たせしました~」
先生の白衣のポケットは、不自然すぎるくらい、ぱんっぱんにふくらんでいる。

「先生、ポケットになにを入れてるの?」
と、わたしが聞くと、先生はかるーく手をあわせて、ゴメンねのポーズをいっしゅんして、
「や、や。購買部、思ったより混んでまして」
と、こちらに背中を見せて部屋に鍵をかけながらこたえた。
「購買部?」
「そ。購買部です。ほら、戦利品です」
鍵をかけおえた先生が、なんだか誇らしそうにポケットから取り出して机にならべたのは、色とりどり、数種類のパンだ。
「…!? せんせ? 今日はお弁当の日ですよ?」
わたしがびっくりしてたずねると、先生はまあまあ、とわたしをなだめるようにほほえんだ。
「あのね、実は今日は新作パンの発売日でして…。ほら、これ。すごいでしょ。おいしそうじゃない?」
無邪気に言う先生とは対照的に、わたしはつい、語気をあらげた。
「せんせいっ!」
「わ、怖い。怒ったの?」
「怒ります! だって今日はお弁当のある日なのに」
「なのに?」
「どーーしてこんなにたくさんパン買ってくるんですか! 先生が流行の最先端をいきたい気持ちもわかります。新作パンゲッターなのもわかってます。だけど、だけど…」
「君が言いたいのは、『新作パンとわたしのお弁当、どっちが大事ですか』ってこと?」
「…」
うぅ…。バカ。先回りして先生にそう言われてしまうと、それを認めなきゃいけないわたしはみじめな気持ちになるだけだ。
黙って自分のぶんのお弁当だけを電子レンジに入れたわたしの後ろに、先生がぴたっとくっついてきた。
「怒っちゃった?」
「怒ります」
「やや」
「先生なんて、もう知りません。お弁当は、ひとりで屋上で食べますから! 先生のお弁当も没収です。先生はお一人で楽しく、新作パンでも堪能なさってください」
「そんなこと、させない。これは、僕のだ」
「だめ。お弁当は佐伯くんにでもあげちゃいます」
すると先生は、レンジ前に立ったままのわたしを、後ろからはがいじめにするようにして抱きしめてきて、耳元にかすかな息を吹きかけた。そして、低くささやいた。
「…ダメ。君のお弁当も、君も、ぜんぶ、僕のものです」
その一撃に、たぶんわたしは一生慣れることがないんだろう。膝からへろへろと力が抜けて、立っていられなくなる。レンジにむかって崩れ落ちるかと思った瞬間に、先生がひょいっと軽いちからでわたしの腰を支えてくれた。
「だいじょうぶ? 立てる?」
「…」
「…ふふ。こんな状態になっちゃ、一人で屋上になんていけないね。小波さんはここでお弁当を食べるしかないよ」
先生はなんて、なんてずるいんだろう…!

電子レンジのチーン、という音ですら、耳の奥でくすぐったい。食欲なんてどこかかなたに飛んでいってしまった。どっちかっていうと、もう、お弁当なんてどうでもいいから、とにかく先生とキスしたい。
わたしをほんのいっしゅんでこんな風にしてしまった先生はといえば、何食わぬ顔で電子レンジからわたしのお弁当を取り出して、続けて自分の分のお弁当をセッティングしている。
「やや。自分のぶんの用意もできないの?」
なんて、ちょっと嬉しそうに言いながら、先生はわたしの分のお弁当のふたをうきうきと開けている。
「や、やや。アスパラ巻き! からあげ! タコさんウィンナー! たまごやきもあります。定番ですね。おいしそう」
はしゃぐ先生に、わたしはたずねた。
「先生、パンはいいの?」
「パン? ああ、あれはあとで」
「…おべんと食べたあとだと、入りませんよ?」
「へ? あれをどこに入れるの?」
「…どこに、って、おなかでしょう?」
「ふふふ。これ、おなかに入ると思う?」
そういいながら先生は、わたしに丸くてコロコロとした『ミルクパン』を手渡してきた。
「いりませんよ、わたし別に」
すねているわけじゃなくて、本当にいらない。ただでさえ先生のせいで食欲ないのに、お弁当のほかにミルクパンまで食べろだなんて、ぜったいにむり。
「まぁ、そういわずに、あけてみて」
「あけてもいいけど、食べられなかったら、先生食べてくれる?」
「先生も食べられないから無理」
「はぁ?」
自分で買っておいてなにを言ってるんだろう、先生。
「ね、とにかく開けてみて」
強力にプッシュされて、仕方なく開けてみると、鼻先にミルクの甘い香りがただよった。
「これ、ジャムとか塗ってたべるんですか?」
「…まだ気づかないの?」
「へ?」
「いいから、袋からだして手にとってごらん」
「…? わっ!!」
もちもちと、指さきにまとわりつく質感が、パンにしてはやけにやわらかい。
「ね、わかった?」
「まさかこれ…」
「そ。まるっきりほんものに見えるけど、実はおもちゃのパンです」
「なに、これ、全部?」
先生はおもいっきり自慢げに、うなずいた。
「そう。全部です」

***

先生にだまされた衝撃で、いっきに甘い気持ちがふっとんだ。
人にだまされることはあっても、人をだますだなんて、この先生に限ってはないような気がしていたのだ。ショックを受けているわけではないけれど、先生らしくない行動に驚いてしまう。
「先生、いったいどうして…?」
わたしは、この不可解な行動の理由を聞こうとしたのだけれど、先生はおもちゃのパンについてのうんちくを語り始めた。
「小波さんしらなかったでしょ。これはね、今、ネットの一部で大人気の『おもちゃのパン』です。そうそう、知ってる? 生徒会長の氷上くんね、ネットでけっこう人気があるんです。そのファンサイトから広がったらしいんですけど、ほんとにすごく流行してるんですよ? 流行パラ重視の僕としては、ハズせません」
「そうなんですか…。ところで先生、これ、購買部に売ってるの?」
「そんなわけないでしょう。とあるルートから『通販』で手に入れました。ネット時代って便利です!」
そう言いながら向かいに座った先生はお箸のさきに突きさしたタコさんウィンナーをひと口でほおばった。
「それにしても、いったいどうしてこんなこと…」
「あのね、これでもけっこう画策したんですよ。購買部に行ってたように見せかけるために階段に潜んで時間も調整しましたしね」
「どうしてそこまで…」
わたしがそう聞くと、話をはぐらかすように先生はわたしのお弁当を指さした。
「あれ、お弁当食べないの?」
「…なんだか食欲がなくなっちゃって」
「や、やや、それはいけない」
「先生のせいですよ、もう!」
「じゃあ、僕に責任を取らせて」
先生は、すすすっと自分のお弁当をわたしのほうによせてきたかと思うと、さささっと机を回り込んできて、わたしの隣にぴたりとくっつくようにして座った。
そして、ぷつりと箸のさきにタコさんウィンナーを突きさして、わたしに差しだして「ハイ、あーん」だなんて笑っている。
…! むり!
わたしがみけんにしわを寄せると、先生は仕方ないですね、とほほえんで、そのタコさんウィンナーを自分の口にふくんで、次のしゅんかん、わたしに無理やり口うつしで食べさせた。
「もう! 先生、お食事中にふざけちゃダメ! お行儀悪い!」
「あ、また怒っちゃった」
わたしはプンスカと怒りながら、ひとつ席をうつって先生から少しだけ離れた。そして、先生に食べさせられたタコさんウィンナーで呼び戻された食欲によって、なんとか無事に、自分のぶんのお弁当を食べきることができたのだった。

***

「やみつきになりますねえ」
むにゅむにゅと片手でミルクパンを揉みながら、そしてもう片方ではわたしのほっぺたをつまみながら、先生が恍惚とした顔をしている。
「ちょ、先生、やめて」
「ミルクパンはやわらかい。でも、君のほっぺはもっとやわらかいような気がする…」
「…そんなものと比べないで、先生」
「君を抱っこしたらもっとやわらかいのかなあ。ね、比べたいから抱っこしてもいい?」
「ね、先生。今日はわたしを怒らせたいんでしょ?」
「や、ピンポンです。さすが君! 察しがいいね」
「…! ほんとにそうだったんだ…」
「うん、そう」
そう言いながら、先生はぽいっとミルクパンを机の上にほおりなげて、わたしをきゅっと抱きよせた。
「やっぱり君のほうがやわらかい」
「もう! なに?」
わたしが口をとがらせると、先生はそれを押しこむみたいにくちびるをくっつけてきた。
はじめはちょっとだけ抵抗したけれど、そんなの無駄だ。けっきょくわたしは、先生にされるがままになる。先生にキスされてしまうと、あっという間にとろんと全身から力が抜けてしまう。
「や。君、もっとやわらかくなった。おもちゃの小波さんだ」
「せんせ…」
「ね、こういうの、いいでしょ?」
「…なにが?」
「怒ったあとのキス」
…へ!? それをしようとしてさっきからこまかくわたしを怒らせていたってわけなんだろうか?
「バカですか、せんせい」
「へ?」
「バカですかって言ったの。わざわざこんなことしなくたって、先生とのキスはいつだっていいのに」
「…そうなの? マズったぜー。そうなると、僕、怒られ損じゃないですか!」
「自業自得です」
そういいながらわたしが先生の背中に両腕をまわしたとき、午後の授業開始の予鈴がなった。
「今日はいつもより時間が過ぎるのが早い感じがします」
「それは先生が時間の無駄遣いをしたからですよ」
「うー。まさにこれからがいいところなのに、シクったぜー」
チャイムをきっかけに先生の膝から降りようとするわたしを、先生はぎゅうぎゅうとからだ全体で揉むようにしながら抱きしめてきて、なかなか手放してくれなかった。わたしは、一生懸命手を伸ばして、机にころがっているミルクパンをつかんだ。
「これをわたしだと思って、かわりに思うぞんぶん揉んでください」
先生のほっぺにミルクパンを押しつけながらわたしがいうと「これが? 君?」と、不審そうな顔でミルクパンを手に取った。
「たしかにこのパンは揉み心地がいいけどね。こんなもので納得できたら安いもんです。ハァ」
そんな風にためいきをついた先生は、ようやくわたしを膝から降ろしてくれて、さっきまでわたしを包んでいた大きな手のひらでミルクパンを、数度、揉みしだいた。パンから、甘いミルクの香りがこぼれた

***

お土産です、と言いながら先生がわたしにくれたのは『超熟メロンパンもどき』と『ロールケーキもどき』だった。
リアルな大きさと感触なのだけど、一応マスコット扱いなのだろう。あけてみるとキーチェーンつきだったので、ふたつともカバンにぶらさげた。
放課後、それを見たはるひが、ちょっと騒いだ。
「なぁなぁ、美奈子! それ、今超話題の『おもちゃのパン』やろー!? どこで手に入れたん!? 今めっちゃ入手困難なんやでー」
「ん、ちょっと、あるルートから」
わたしがすこしはぐらかしてそうこたえると、
「…なんやあやしいなァ」
と、はるひはなんだか目元をほそーくたわませた。
「はっ?」
「さっき若ちゃんも違う種類のパンもっとってな、どこで買ったか聞いたら、美奈子と同じように答えとったで」
「ちょ、はるひ、なに、いって、なんでここで若王子先生が出てくるの」
「…あんなぁ、本人ら思ってるより、あんがい周りは敏感だから気ィつけや~。なんたってあんたの相手は、ここ一歩ってところで抜けてるさかいな」
「な!」
「ってわけで、口止め料! そのパンひとつもらうでー。あたし、ロールケーキのほうがええな!」
まったく遠慮とイヤミのないはるひの言い方がおかしくて、思わずわたしは笑ってしまった。

――わたしが卒業するまで、先生とわたしが恋人同士であるというひみつは守らなければならない。だけど、はたしてどこまで守りきれるのだろう。
とりあえず、先生にはこの話をして、『危険ですから次のお弁当の日は見合わせましょう』なんて提案してみよう。そしたらきっとあの人はそれこそ盛大にすねてしまうだろう。でも、わたしはわざと譲らないでおこう。もしかしたら、はじめてのケンカになるのかもしれない。
だけど、それも楽しみかも。
わたしは、そのあとの仲直りのキスを想像して、その甘美さにすこしだけ背筋をふるわせた。
カバンにつけた超熟メロンパンもどきを軽くにぎると、とっくにわたしの気持ちを見透かしたかのようにふるんとふるえて、手のひらのなかでちいさくつぶれた。

卒業まで、あと七ヶ月。期末考査が終わった翌週の、夏休み前のできごとだった。


 
 
 
 

 
END

2009/07/09

 
 

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