早摘みのいちごはすっぱい。
口をすぼめながら、テーブルの上の赤い実をつまんで、なんとなくひまをもてあましていた午後三時。
マナーモードにしたままの携帯電話が、ソファーのうえでふるふると揺れているのに気がついた。
ピンクのライトがちかちか光っているってことは……
『若王子先生』からだ! もしかして、お花見デートのお誘いかも。
わたしはいちごを口に含んだままで通話ボタンを押した。
「先生、こんにちは」
「小波さんー! 君がいないと、死んじゃいますー」
「ど、どうしたんですか!?」
先生の、せっぱつまった声に驚いてすっとんきょうな声をだせば
「おなかがー、おなかがすきましたー」
その情けなさすぎるせりふに、タイミングよく噛んだいちごのすっぱさが重なって、おもわず顔をしかめてしまった。
***
「んもう、先生」
わたしはふた袋分の買い物袋を先生の部屋の台所の床に置きながら、ため息をついた。
「こないだの日曜日に作っておいたお料理はいったい、どうしたんですか」
先生が行きつけにしている定食屋さんは、旅行が趣味だという夫婦がのんびりやっていて、年に二,三度、一週間ほどの休みを取る。今回は間が悪く、この春休み中に『旅行やすみ』が訪れてしまった。
春休み中は、学園の購買も、食堂ももちろん休みとなるわけで。と、なると、先生は、夜ご飯だけじゃなく、お昼ご飯にも飢えてしまう。
そんなわけで、先週の日曜日、わたしはこの部屋を訪れて、ほぼ一日かけて、先生が一週間飢えないようにと保存の利く料理をせっせと作りためておいたのだ。
保存優先の料理となると、どうしても地味なものばかりになっちゃうけれど、それはそれで仕方ない。煮物中心に献立を考えて、それでも先生が飽きないようにと、そこそこのバリエーションをつけて、それなりに量も多めに作ったはずなのに。
――それが、たったの三日間で? どうして全部、なくなっちゃうわけ?
「こら! 先生!」
状況を把握するため冷蔵庫をあらためようにも、わたしがこの部屋に入ったとたん、すぐさまぺたりとくっついてきて、猫みたいにすりすりとからだを寄せてくる先生が邪魔だ。
「まぁまぁ、そんなに急がなくてもいいです。まずはこっちで、ひと休みしましょう」
「……ちょ、だめ、だめですってば。今日は、こんなことしにきた、わけ、じゃ……」
わたしは抵抗したけれど、先生はそんなことにはおかまいなしだ。ずりずりと、六畳の間にわたしをひっぱりこんでしまい、手際よく畳におしつけてしまった。
「ちょ、せん……」
わたしが文句を言おうとしたら、急にばさっとおおいかぶさってきて、先生はいきなり深いキスをはじめた。
心の準備をしていなかったので、ふいを突かれた。あっというまにわたしの口びるの端のすきまをとらえた先生は、するん、と舌をしのばせてきて、わたしの歯のまわりを丁寧になめあげた。
「あ、これは……。いちご……?」
先生がつぶやいた。
「……?」
「小波さん、いちご、たべてたでしょ。君のお口のなかから、いちごの小さな種が、見つかりましたよ」
そう言いながら、先生はわたしの口のなかで見つけたいちごの種をぷちん、と音をたててかみつぶした。
「先生。なんのつもりなんですか……」
恥ずかしさと驚きで、わたしが先生をにらみつけると、先生はにこにこーっと、ほほえんだ。
「うそ、ですよ」
「……へ?」
「だから、うそ」
「なにが?」
「お料理、全部食べちゃった、って」
「……は? どういうことなんですか!?」
わたしがびっくりして、ほんのすこし声をあらげれば、
「だからね、今日はエイプリルフールでしょ。僕は君に会いたかったから、うそついたんです。あ、ちなみにお料理はまだ冷蔵庫のなかに入っていますよ」
ひとつの曇りもない笑顔で、さも、当然かのごとく。羽ヶ崎学園の化学教師、IQ200の天才科学者、ついでにわたしの担任教師、若王子貴文は、悠然と言い放った、のであった。
***
「やだやだやだやだ!」
「まぁまぁまぁ」
「や・だ! っていってるのにー!」
先生は、暴れて抵抗しているわたしの両手首を自分の左手できゅっとひとまとめにしてしまって、右手ではゆっくりとわたしの衣服をめくり始めていた。
「いやよ、いやよも好きのうち、ってね」
「! どこのオヤジの台詞ですかー!」
「だいじょうぶ。そのうち君も、その気になるから」
「な・り・ま・せ・ん!」
ジタバタジタバタ。唯一、自由になる足をバタつかせてみるも、ホトケゴコロ、というのか、もし、先生を蹴っちゃったらかわいそうだなぁ、なんて思うと、思う存分暴れられない。
「さすが、僕の小波さんです」
「はいっ!?」
「演出をよく、心得てる」
「なに言ってるんですか」
「ほら、今日はエイプリルフール、だから」
「だから?」
「嫌がってるのは、反対の意味、ってことなんでしょう?」
「ち、ちがーーーーう!」
「ふふ、たまにはこういうのも、いいですね」
先生はうれしそうに言いながら、ぷちぷちっと器用にわたしの春物ブラウスのボタンを数個、はずした。かとおもうと、するするっと右手をしのびこませてきて、ブラジャーのうえから、きゅっとわたしの乳首をつまんだ。
「きゃっ」
「女の子は、たいへんですねえ。からだはうそ、つけないんですもんね。もう、ここ、こんなにかちかちです」
「も、やだ……」
わたしはあまりの恥ずかしさに目を伏せた。
先生は、かちかち、かちかち、と変な節をつけながら、わたしの胸の先を下着のうえから、まるでなにかのスイッチでも入れるかのように、ぷつんと押した。
「やっ!」
「ああっと。もしかして、このブラウス、おニュー?」
「……おニューって……先生」
「あれ、おニューって言葉、しらない? 新しいもの、って意味なんですけど」
「それはしってますけど、今どき、あんまり……」
そんなわたしの言葉に、耳を貸すこともなく、先生は、さらにうれしそうに言う。
「かわいいです。君に良く似合ってます。でもね、このままだと、せっかくのおニューが破れちゃうかもしれないから、ちゃんと脱ごうか?」
……。もしかして。わたしがイヤだと言えば言うほど、『エイプリルフールです』なんて、先生はますますはりきってしまうのだろうか。それならば、いっそ、うなずいてみるのはどうだろう。
「……はい」
――結果をいえば、先生はますますよろこんで、余計にわたしにすりついてきただけ、だった。
もうこうなると、逃げるのは無理だ。
あきらめてからだのちからを抜いたわたしを、先生がゆっくりと撫ではじめた。撫でながらも、器用にわたしの服をとりさってゆく。普段なら、脱がせやすいようにと、自分からすこしからだを浮かせることもあるけれど、今日はくやしいから、それに協力をしなかった。
くたん、とちからを抜き去ったわたしを、まるでお人形のように軽々と扱う先生。むしろ、わたしの協力がないほうが、やりやすいのではないか、と思うほど、あざやかにくるくる剥いてゆく。
「や。これはかわいい。これもおニューだね。君によく、似合います」
わたしのピンク色の下着を見て、先生は目をすがめた。
先生は、第一声、かならずわたしの下着をほめてくれるから、いつのまにか、わたしのクローゼットの一番したの引き出しは、先生が好きなピンク色の下着で埋まってしまった。
「脱がしちゃうの、もったいないね」
先生はそんな風に言うけれど、本心からは思っていないみたいで、その証拠に、フロントホックのブラジャーの留め具に人差し指をひっかけて、ちょこちょこっとひっぱりながら、ほんの一瞬ではずしてしまった。
……ああ、いや……!
そう、今日、わたしがいつもよりすこし強く抵抗したのは、先生のまえではじめて着るこの下着を見せるのがはずかしかったから、だ。
この下着はホックをはずしたとたん、ぷるりとこぼれる乳房を、ほんの一瞬で先生の目の前にさらしてしまう。しかも、きっと、わたしの乳首は、先生に触れてほしくて、はずかしいほどにつんと上を向いているに違いない。
「やや。これは……。かわいい。先生、興奮しちゃいます……」
やっぱりだ。あんのじょう、いつも以上に弾んだような先生の声に、わたしの頬があつくなる。
ぺろん。先生の舌が、前触れもなく、わたしの乳首の先端に触れた。その瞬間、快感がものすごいスピードで駆け抜けた。そして、もちろん、胸の先も気持ちがいいんだけど、不思議なことに、おへその下のあたりにも、つくん、ってちいさく、電流が走る。
ちゅっちゅって、子どもがあめ玉をしゃぶるみたいに、先生がわたしの胸の先を舌でころがす。先生があんまり熱心にわたしの胸をいたずらするものだから、わたしはついに耐えられなくなって、
「せん、せ……。はずかしい」
息もたえだえに、訴えてみたら、先生の顔がわたしの顔に近づいて、今度は口びるにキスをくれた。
「おすそわけ」
「……え?」
先生は、わたしの口びるに舌をさしこみながら、そんなことを言う。
「とってもおいしい君の味、ちょっとくらい残ってればいいんだけど。わかる?」
かああ、とますます熱くなる。
「あ。真っ赤だ」
顔も、からだも、快感と羞恥で紅潮しているはずだ。それをわざわざ、指摘してますますわたしを恥ずかしがらせる。
「……もう、いや、せんせい」
涙声でつぶやいてみたら、
「うん、わかりました。いや、ってことは、もういい、ってこと、なんですね?」
まだしつこくエイプリルフールネタをひきずっている先生は、するりとわたしの足の間に指を差し入れ、準備のほどを、たしかめた。その指はあっという間につるんと濡れて、そのことは、先生をかなりよろこばせてしまったようだった。
ぴっちょん、ちゅるん。
目を閉じたまま響く音に耳をすませると、雨のしずくがはじける音か、はたまたスープをかきまぜる音か。
な、わけはなくて。
先生が、わたしの腰のあたりに顔をうずめて、熱心に作業をしている音、そのものだ。
ときおり、快感が過ぎて、ふと、目をあけてみれば、先生のこの部屋の古っ茶けた天井が、あまりにもみすぼらしくて、ふと、不安になったりする。
実はわたしは、これ、をされるのが、そんなに好きじゃない。
たしかに、舌でされるのは、きもちいいけど。たぶん、胸をなめられるより、指でそこをこすられるより、ずうっとずうっと、きもちいいけど。
でも。
「せんせい」
わたしは、先生を呼んでみた。
ちゃぷちゃぷ、ちゅくん。
もしかすると、この小さな水の音に埋もれていて、先生にはわたしの声が、聞こえないのかもしれない。
「ねえ、せんせい」
もういちど、呼んでみた。
いやなの。わたし、先生の、顔が見えないのが、不安、なの。きもちいいことより、もっと、もっと、大事なもの。わたしが恋するたった一人。どうか、あなたの、顔を見せて。
そう言いたいのに、快感に引きずられて、言葉が出ない。声にしたと思った瞬間、言葉はため息になって、先生の耳をますます、濡らす。
これ、あんまり、好きじゃないのに。なのに、からだばかりが、快感に向かって加速する。きもちと、からだが、ばらばらになる。
先生の口びるが、わたしの快感をおおもとをつかさどる、あのふしぎな粒を吸ったその瞬間、なにもかもが、わからなくなった。
――もう、ダメ……。
おへその下のあたりが、じん、と、しびれた。尾てい骨が、ずくん、とうずいた。あたまの芯が、あまく、重く、痛んでいる。
わたしのからだのちからが抜けたことを確認してから、先生が、やっとわたしを抱きしめてくれた。
やっぱり、こうされるのが好きだ。一度ばらばらになったけれど、再び、きもちとからだが、重なっていく。
「せんせい、キス、して」
息も絶え絶えに、わたしが願うと、せんせいはちゅ、っと軽く口びるをあわせて、あたまのてっぺんをなぜてくれた。
「もう、いい?」
わたしはこくり、と、うなずいた。
ゆっくりと、わたしにわけ入る先生の質量が、あまりにも圧倒的で、わたしはちいさく悲鳴をあげた。
「ん、痛い?」
「……ちがうの。きもち、よくて、びっくりした、の」
先生に見つめられながらされると、なにもかもがすべて、ぜんぶ、きもちいい。
「……わ」
「なに? せんせい?」
「あんまりかわいいこと、言わないでくださいよ」
「え?」
「……持ちが悪くなっちゃいますから」
「そんなの、いいよ、せんせい」
「そういうわけにはいきません」
「どして?」
「だって、こんなにきもちいい時間は、長く続いたほうがいいでしょう?」
すぐに終わっちゃったらもったいないよ。
そう静かにささやきながら、先生は、眉根をきゅっと寄せて、一回だけ、わたしの奥に腰をぐっと押しこんだ。
「……あっ」
わたしが先生にしがみつきながらこぼした声は、ますます先生を苦しめたみたいだ。
「だめ。だめ。そんなにかわいくしないで」
「え、えええ? じゃあわたし、どうすれば、いいの」
「僕にもわかりません」
「……それじゃあ……」
「……ふたりでゆっくりどうすればいいか考えよう。今日は、たくさん時間もあるし」
……たくさん、時間?
わたしは、窓際に無造作に置かれた、プラスチックの目覚まし時計をちらりと見た。
もう、六時ちかく、なんですけど。
「せんせい……? もう、六時、ですよ?」
「まだ六時、ですよ。いいから。ね。もう、黙って」
ほんとはよくない。今日はここに来る予定じゃなかったから、両親にも遅くなることなんて言ってないし、それに、買ってきた品物だって、どうにか捌かないわけにはいかない。
それを考えたら、『もう六時』、なんだけど。
でも、もう、どうでもよかった。
ひとつになってくっついた、先生のからだがきもちいい。
恋したひとに、真っ向から愛されるしあわせに、わたしはすっかり、夢中になっていた。
***
「ね、だから僕が言ったでしょ、『そのうち君もその気になるから』って」
男の征服欲、ってやつなんだろうか。その最中、数え切れないくらいわたしを快感におとしたのち、ようやく最後に思いの丈を放ちきった先生は、さも、自慢げに言いながら、わたしを胸に抱き寄せた。
もう、疲れて、口ごたえする気にもなれない。
……なにが、『持ちが悪くなっちゃう』だ。けっきょく、ふだんより長くしていたような気がする。
「こないだの日曜日は、君がお料理にばかり夢中になって、僕をかまってくれなかったからね。今日はその仕返しですよ」
「仕返しっ、て……」
そりゃあ、たしかに。あの日は火も使っていたし、包丁だって持っていたから、ほとんど先生を寄せ付けなかったけれど。しかし、誰のためのお料理だと思っているのか。
「でも、別れ際には、ちゃんとキスをしたじゃないですか」
「ブ、ブー、です。大人の僕には、あんなんじゃ足りないんです」
「もう、先生……」
どこが大人なの、と、こころのなかでため息を吐きだしながら、わたしは、この大人げない恋人の髪を指で梳いた。すると、先生は、その仕草が気持ちよかったのか、子どものような顔をして、目を細めて笑顔を作った。
時計を見ると、もう七時をまわっていた。
「先生、わたし、今日はもう帰らないと……」
わたしがそう言いながら、先生の腕を抜け出そうとすると、先生は、わたしをぎゅっと引き寄せた。
「だめです」
「だ、めって……」
「あのお買い物袋の食材、僕にはどうすることもできません。君がどうにかしてください」
「だって、そもそもの原因は先生がうそをついたことで――」
「ねぇ、君はうそを、ついたことがないの?」
先生のとつぜんの問いに、わたしは目をしばたたかせた。
「うそ……? んーと、基本的には、そんなに、ないです」
考えてみれば、わたしはあまり、嘘をつかない。こうして、担任の先生とつき合っていることはもちろん誰にも秘密だけど、でも今のところは、言わないだけで、あえて誰にも嘘はついていない。
わたしが今までについた嘘を思い出そうと考え込んでいると、先生は、わたしのあたまをそっと撫でた。
「君はいい子だね。ごめんね、先生ばっかり、うそつきで」
「……そんな……」
「大人はだめだね、ずるくてね」
寂しげにつぶやく先生が、まるで違う人みたいにみえて、わたしは急に不安になった。
「そんな、先生。だめなんかじゃないです。わたし、はやく、大人になるから」
待っててください、そう言おうとしたら、先生が一瞬先に、切り出した。
「大人になる? じゃあ、君もうそをついて」
「……え?」
急に声をひくめて、そして真剣な目で、わたしを見る先生の気配に息を呑んだ。
「手はじめに、ご両親にね、うそをついてください。今日は友だちの家に泊まります、って。できる?」
わたしは、もう一度、時計を見た。
その上にかけてある月めくりのカレンダーは、まだ、三月のままだった。無精な先生が、まだめくっていないのだ。
「――いや、先生。わたし、そんなこと、できない」
嘘を口にしたとたん、いちごの種のざらざらが、舌にまつわりついたような気がして、わたしはいっしゅんめまいを感じた。
――でも、大丈夫。いちごの種は、きっと先生が、ひとつのこらず、取り去ってくれるはず。先生がいざなう、大人への道に、わたしは一歩、踏み出した。
先生が、わたしの真意をはかるように、じいっとこちらを見つめている。
目を閉じると、家のテーブルに残してきた、いちごの赤が残像になって、ゆらゆらふわふわ、揺れている。
2009/04/01