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+++イルカとスープと学ランと

このお話は、マヨナカメガネさんで開催された~縄張りを荒らす男たち~という企画用に書いたものです。
この企画は、とあるキャラの持ち場で、他のキャラが狼藉をはたらいたり、好き勝手をしたり、というものでした。
それを踏まえて、ご覧ください。


続き


+++イルカとスープと学ランと

 先生と古森くんと、それからわたしとの三人で出かける課外授業も二回目だ。
 一度目の課外授業のときよりも親密度が増しているのか、先生がくりだす外し気味のジョークに、古森くんもときおりうなずくようになっていた。まだ笑ってはくれないけれど、それでも、前にくらべるとだいぶ口数も多くなったし、明るくなったような感じもする

 いつのまにか、先生と古森くんは、『猫好き』という共通項を見つけて、なんとなく盛り上がっていた。このぶんじゃ、もう次の課外授業からは三人じゃなくてクラスのみんなと一緒にきても平気かな?
 それだけじゃなく、もしかしたらそろそろ古森くんも登校してきてくれるかもしれない。明るい期待を胸にいだきつつ、わたしはふたりの邪魔をしないように、後ろからゆっくりとついて歩いていた。

「ねえ海野さん」
 とつぜん先生が振り返ってわたしを呼んだ。
「なんですか?」
「あのね、古森くんが、よかったら今日の晩ご飯一緒にどうですかって」
 え……? 古森くんと晩ご飯? どういうことだろう。親睦のためにファミレスかどこかで食べて帰るってことかな? わたしが首をかしげると、先生が喜色満面の笑みをたたつつ、続けた。
「スープを多めに作ってあるんだって。だから、古森くんのおうちで、晩ご飯をいただいて帰っちゃいません?」
 なるほど、そういうことか。先生はとにかく食べ物につられやすい。ひとり暮らしが長いせいか手作りの味にほんと、弱いのだ。わたしは、少し歩みを早めて、二人の間に割り入りながら古森くんに言った。
「古森くん、ほんとうにいいの? もし先生にねだられたんなら、遠慮なく断っていいと思うよ」
 冗談めかしつつも、わりと本気の口調で言えば、それはずいぶんな言われようです、と、先生はちょっと憤慨した。先生のその姿がおかしくて、わたしは少し笑ってしまったけれど、古森くんはやっぱり笑わない。そのかわり、細いけれどしっかりと芯のある声で、わたしたちを誘ってくれた。
「……いや、ほんと、かまわね。食事は、人数多いほうが、その……楽しい、から……。あ、君、さえ良かったら、の話なんだども……」
「わあ、ほんと? 嬉しい。全然、いいよ。むしろ、こちらこそお世話になります。古森くんのスープ、おいしいもんね。もう一回食べたいと思ってたんだ!」
 言ったとたん、先生の視線が横顔にチクリと刺さった。え、ヘンなこと言ったっけ? そう思ったときには、もうあとのまつりだ。
「……そう、海野さんは、もう古森くんのスープ、食べたことがあるんだ。古森くんの家で?」
 わかる人にだけわかる、ぞくん、と背中に鳥肌がたつような低い声で先生はわたしにたずねる。
「あ、あの。ちょっと前に若王子先生に頼まれて、プリントを届けに行ったときに、ね? あの、古森くんの家の前の廊下でわたしのおなかが盛大に鳴っちゃって、それで古森くんが、気を遣ってくれて、ごちそうしてくれたんだよね、古森くん」
 妙に説明口調で当日のことをつまびらかにしつつ『先生に頼まれて』のところを強調してみたけれど、先生はじっとりと横目でわたしを見たままだ。
「いいですねえ。学生さん同士はたのしそうだね。青春です。そのとき、古森くんのお父さんはいたんですか?」
「……あ、父ちゃんは……。夜、仕事しでっから……。夕方には、もうたいていいね……」
「そう、部屋にふたりだけだったの?」
 この展開は、たいへんまずい。このままいくと相手がたとえ古森くんであろうと、先生はきっと容赦しないにちがいない。この、なんにも執着しないように見えるひょうひょうとした人はわたしとつきあいをはじめてから少しかわった。わたしが他の男の子と二人になったり仲良くしたりすると、とてもわかりやすい嫉妬の感情を見せるのだ。それはすこし、いやかなり、大人げないほどに。
 そりゃあわたしだって、大好きな人に独占欲を見せられると悪い気はしない。むしろ、こんな人だからこそ、わたしに執着してくれることが嬉しかったりもする。何にも縛られず、いまにもこの場所から不意に消えてしまいそうだった人がわたしのそばから離れようとしない。それは、やっぱり嬉しい。
 だけど、いまは駄目だ。わたしと先生は、ここでは公的な立場で先生と生徒なのだし、なによりも、先生の願いである『古森くんと青春を過ごしたい』が断たれてしまうかもしれないのだ。
「先生!」
 わたしが、すこし強めに呼んで目配せをすると、先生はハッと我に返って目を丸くみひらいた。そう、先生だってわかっているのだ。
「や。先生、古森くんのスープがうらやましくて、つい盛り上がっちゃいました」
 せっかく先生が入れたへんなフォローだけど、古森くんには通じていなかったようだ。というか、そもそも、途中からなんにも聞いていなかったのかもしれない。
 水平線の向こうに沈んでゆく真っ赤な夕陽を遠い目で見つめて「プレゼント」とつぶやいている。
 ……なんだか、いろいろ、超クール。

***

 ごちそうになるのに、座ってばかりいるわけにもいかない。
「わたし、なにか手伝おうか?」
「や、海野さんは座ってて。僕が手伝います」
「先生にお手伝いなんてできるわけないでしょ」
「カチーン。僕だってやるときはやるんです!」
「……ふたりとも……。座ってて……」
「……はい」
 せっかくの申し出も、あっさりと拒否された。
 古森くんのお部屋に来るのも二回目。わたしはぐるりと見回した。あいかわらず、殺風景だ。先生のお部屋もずいぶん殺風景だけど、古い梁や、壁の染みが過ぎた年月や、そこに住んだ人の生活を感じさせてくれて、なんとなく建物自体にあたたかみがある。対する古森くんのこのお部屋は、部屋自体が冷たい感じ。コンクリートの壁に、薄くて固い絨毯、ひややかに光を放つ蛍光灯。部屋全体が、人のあたたかさを拒んでいるようにすら感じてしまう。
 だけど、以前来たときよりも、ほんの少し、とっつきやすくなっているように感じるのは――。
「あれ、飾ってるんだね」
 わたしが指さしたのは、土偶のレプリカだった。前回の三人で出かけた課外授業のときに、古森くんが自分へのお土産として選んだものだ。
(そっか、この部屋が特別に殺風景に見えるのは、古森くんが好きなものや、ご家族が好きなものが、なにひとつ飾られていないからかもしれない)
 先生の部屋には猫たちのオモチャが転がっているせいで『先生が好きなもの』がちゃんと目に見えている。だから、殺風景ながらも居心地は悪くない。
 それならば、この部屋を古森くんの好きなもので満たしていけば、こんな淋しそうな部屋じゃなくなるのかもしれない。わたしはかばんを自分のほうに寄せた。
「どうしたの?」
 先生が不思議そうに聞いてきたから、わたしはかばんの底をごそごそと探りながら答えた。
「ほんとは自分用に買ったんですけど、お手伝いもできないし、スープのお礼に古森くんにプレゼントしようかな、って」
 わたしが取り出したのは、水族館で買った小さなイルカのおもちゃだ。ぜんまいをまくと、ぱたぱたと背びれと尾びれが動いて、水中を進む。いわゆる、お風呂で遊ぶタイプのおもちゃだ。
「古森くんのお部屋、シンプルだけどちょっと淋しい感じでしょ。せめて、こんなものでもあればすこしはあったかくなるかなって思ったんです。ほら、あの土偶のとなりに並べたら、なかなか可愛くなると思いませんか?」
 わたしが土偶を指さしながら言うと、先生が向かい側から手を伸ばしてきた。そして、わたしのひたいを二度、撫でる。
「君はほんとうに思いやりのあるいい子です。僕の自慢の生徒です。かわいいかわいい生徒です」
「そんなことないですよ」
 わたしが照れると、先生が目をほそめた。
「うん。かわいい」
 コホン。
 咳払いが聞こえて、わたしと先生はぴいんと背筋を伸ばして、ハッと我に返った。
「ええっと。その、スープ……できた……」
 へんに思われなかったかな……。……今のところ、先生と生徒の境界は、超えてないはず。……な、はず!
「あ、古森くん、その、食器とか、並べようか?」
 古森くんは、別にいい、とだけひとこと言って、ふたたび台所に引っ込もうとした。そのときだった。
「あれ!?」
 クールな古森くんにしては珍しく、大声を出して固まっている。
「どうしたの?」
「父ちゃん……。弁当、忘れてら……」
 テレビの上においてある、ギンガムチェックの包みのことのようだ。
「お父さんの職場、食堂とかないの?」
「ない……。父ちゃん、外で働いてるから……。ちょっと、届けに行ってきていいかな……。すぐ、戻る……」
 もちろん、すぐに行くべきだと思う。お父さん、困ってるだろうし。でも、わたしたち、どうすればいいのかな。すぐ戻るとは言っているけど、いくらなんでも、家主不在の家に上がり込んだまま待機というのは失礼ではないだろうか。
「わたしたち、帰った方がいいかな?」
 わたしがたずねると、古森くんは首を振った。
「……いや。待ってて。職場、近いから……15分で、戻る」
「でも……」
 すると、先生がドン、とその薄い胸板をたたいた。
「任せてください。古森くんの留守と海野さんは、この僕が守ります。頼りにしててください!」
 先生が言い終わるかどうかのところで、赤いギンガムチェックを胸に抱いた古森くんはもう靴を履いていた。 
「じゃ、行ってくるから」
 ……とにかく全てが、超クール。

***

 ふたりきりになったとたん、さっそく先生がぺっとりとわたしに頬を寄せてきた。まぁ、先生が胸を叩いたとたん、絶対こうなると思ってはいたから想定の範囲内だけど。
 人目をしのんで恋をするわたしたちには、なかなか二人きりになれるチャンスがない。それこそ普段は放課後の化学準備室くらいでしか仲良くできないのだけど、そこだって、毎日のように入り浸っていたら人の口の端にのぼるだろう。だから、わたしも先生も、そんなにしょっちゅう化学準備室にこもるわけにはいかない。
 だからといって、先生のお部屋に毎週のように通うわけにもいかない。はばたき市内にある先生のアパートに出入りを繰り返していたら、誰に見られるかわかったものじゃない。だから慎重に、ほんの時々だけ。
 教師と生徒のあいだで恋愛をするというのはけっこう大変なのだ。
 友だちカップルなんて、屋上で堂々と肩を寄せ合ったりしてお弁当を食べているし、中には人前で、ほっぺにキスくらいまではしちゃうカップルだっている。正直、うらやましいけれど、そんなことは決してできないから、せめてわたしたちは二人きりになれるチャンスを見逃さない。
 だけど……。
 いくらなんでも、ここではマズい。
「ちょ、先生。すぐに古森くんが戻ってくるんですから」
 軽いキスをエスカレートさせて、先生の舌がわたしのくちびるに割り込んでこようとしたから、わたしはそっとそれをいさめた。
「ダメ?」
「ダメに決まってます。ここは古森くんのおうちですよ?」
「でも、誰もいないよ?」
「古森くんが、見てます」
 わたしは、灰色の壁にかかった古森くんの黒い学ランを指さした。
「ふむ……。じゃあ、こうすれば、見えない」
 そう言うや否や、先生は、くるりとわたしの向きを変えて、学ランのかかる壁に背中を押し当てた。そして、わたしを両手で囲った。
「だめ、ですってば、先生」
「ね? ちょっとだけ」
「……もう」
 わたしは目を閉じた。キスくらいなら、おとなしく受けようと覚悟を決めたのだ。
 しかし、抵抗をやめたわたしに気をよくしたのか、先生はスカートの中にまで手を差し込みはじめたのだった。
「先生、ほんと、ほんとそれだけはダメだから! ……あっ……」
 ダメだ、ダメだと拒否しても、先生の指にわたしは弱い。
 ふとももの内側を、親指ですうっとなぞられるだけで、背中にぞくぞくと鳥肌がたつ。
「ん? どうしたの? 甘い声が出てますよ? 他人の家で感じちゃった?」
「そんな、わけな……。ああっ!」
「ん。すぐにいかせてあげますから」
「やっ、やっ、先生、だめ。お願い」
 わたしが必死に押し返そうとしても、大人の男の力にはかなわない。
「……ねえ、海野さん? 僕が許すと思ったの?」
 先生が急に声をひそめた。眉間にはしわを小さくためている。
「え?」
「なにもなかったとはいえ、密室に男の子とふたりきりになるなんて」
「だって、せんせ……。それは……。きゃっ、なに?」
 急に、ショーツの間からはいってきた冷たくてつるつるした質感に、わたしは思い切り腰を引いた。
「おしおきです。イルカさんも、怒ってますよ。君はガードが甘すぎるんです。いろんな意味で」

***

 先生の指とイルカにあっというまにやられてしまって、わたしはぐったりと先生の胸にすがりついた。その間、4,5分といったところだろうか。
 まず、先生は器用な指先とイルカのつるつるしたボディでわたしの気持ちいいところを責めあげて抵抗力を封じてしまった。それから、素早くイルカのゼンマイを巻いた。そして先生は、ぷるぷると震えるイルカの背びれをわたしのまんなかに押し当たのだ。その振動でわたしはすぐに音をあげた。いつもより、ずいぶん早かった。と、いうか、一瞬だった。
 はじめての感覚に翻弄されて息をあげているわたしを見て、先生は嬉しそうにしている。
「ね、わかった? 今度から、僕のいないところで男の子とふたりにならないこと」
 わたしは力なく、うなずいた。
「このイルカさんは防水だから、こんなに濡れたのに壊れません。君はいい買い物をしましたね。ね、これ、こんなふうになっちゃったけど、やっぱり古森くんにあげるの?」
 穢れないイルカのつぶらな瞳が、わたしを見つめる。わたしはイルカから目をそらしながら答えた。
「……あげられるわけ、ないじゃないですか」
「じゃあ、僕がもらってもいい?」
 そんなの、ダメに決まってる。こんなもの先生に持たせてたら、今後もこれでなにをされるかわかったもんじゃない。
「ダメ。かえして、先生」
「いやです。返しません。これは僕のものです」
 いたずらっ子がするように、先生は手を上げて、イルカを高く掲げた。
 それをとりかえそうと立ち上がろうとしたけれど、腰の奥に残る甘ったるい疼きに足を取られ、わたしは先生の上に体を崩した。
 わたしの重みで、先生はおもちゃみたいに床に倒れた。そのとたん、つるんと濡れたイルカは、先生の指を離れた。
 わたしは、先生に乗り上げたまま、イルカを取ろうと手を伸ばした。そのときだった。
「……ただいま……」
 わたしも先生も、声がしたほうを振り向けなかった。恋人たちにとって、15分なんて時間は、あってないようなものなのだ。

***

「僕は、言わない……」
 なにを、と聞けたらどんなに楽だろう。
 はあ、と二人して頭を下げるしかなかった。変にいいわけをしようものなら、いろんなことがダメになりそうな気がする。
 三人で黙って、スープを飲んだ。
 不意に、古森くんが口を開いた。
「その……。土偶のレプリカも、なかなか、悪くないと、思う……」
 なにが!? っていうか、それかなりマニアックじゃない? そもそも、どのあたりからなにを知ってるんだろう……!
 でも、やっぱりそれも聞けないで、わたしと先生はうつむいたまま、黙々とスープを口に運ぶ。
「スープ、おかわり、いる?」
 古森くんが、はじめて笑った。
 かわいたイルカが、床にころりと転がっている。拾いたいけど、拾えない。

END

200905

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