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『おくりもの』 ~ごまいつづり 若王子先生サイド~

この話は、2009年の若王子先生+氷上くんのお誕生日企画としてマヨナカメガネさんとの連作で書いています。このストーリーの続きは、マヨナカメガネさんで読めますので、ぜひ、そちらもお楽しみ下さい!


続き


 
 かれこれ半年も前からリサーチしているのに、先生の欲しいものがわたしにはぜんぜんわからない。
 もちろん、超熟メロンパンや、ツナのカンヅメが大好きなことは知っている。
 だけど、そんないつでも買えるようなものじゃなくて、もっともっと、すてきなもの。恋人に贈って喜ばれるようなもの。
 そう、わたしは、間もなくにせまった九月四日、若王子先生のお誕生日のお祝いを考えているのだ。

 夏休み前の放課後、密さんにこっそりと聞くと、「バカね、美奈子さん、そんなの自分にリボンをかけて『わたしをプレゼント』ってやれば、男の子なんていちころよ」だなんて言っていた。うーん、ざんねん。わたしの相手は『男の子』っていうよりは『男の人』って感じだし、さらにいえば、いまさら『わたしをプレゼント』な関係でもない。大きな声では言えないけれど、そういう意味で言えば、とっくの以前にわたしは先生にもらわれちゃっているのだ。
「えーっと、もっと一般的な……。普通な感じの……」
 もじもじしながらわたしが言うと、密さんはクスクスと笑った。
「青春ね。美奈子さん、純情でかわいい」
「えっ!?」
 せ、青春、っていうか、純情、っていうか……。実はそんなでもないんだけど。ごめんね、密さん。
「じゃあ、やっぱり本人に聞くのが一番じゃない? 男の子の欲しいものなんて千差万別よ? ロマンチックな感じはしないけれど、はずして気まずくなるより、直接聞くのが一番じゃないかしら?」
 密さんはそう言って妖艶に笑うと、長い髪をなびかせて去っていった。密さんのいた場所には、甘い果実の香りだけがかすかにふんわり、残っていた。

 夏休みの間中、いろいろ考えてみたけれど、けっきょくいい案は浮かばなかった。
 だから、密さんのアドバイスを実行することにした。夏休みも終わりにさしかかった日曜日、先生のアパートの部屋のなかで。さらに言えば、先生の腕枕のなかで。
「先生、お誕生日に欲しいもの、教えてください」
 ストレートにたずねると、先生は少しだけ困ったような顔をした。
「うーん、強いて言えば『実用! 食べられる海藻図鑑』ですかねえ。君が十六歳になるときにプレゼントした本があるでしょう? あのシリーズの新刊がつい最近出たんです」
 わたしは先生をにらみつけた。ふざけるにもほどがある。あのときのわたしたちは、普通よりちょっとだけ仲のいい先生と生徒の間柄だった。だからあのプレゼントにも笑えたけれど、今はもうそんなのじゃない。おおっぴらにはできないとはいえ、れっきとした恋人同士だ。もっと真剣に答えてほしい。
「わたし、そんなに貧乏じゃないですよ? 夏休みだって珊瑚礁でバイトしたし」
 わたしが言うと、先生はとつぜん真剣な声を出した。
「あ、強いて言えば一つ」
「なに、なに、先生、おしえて」
「もう珊瑚礁でバイトして欲しくないです」
「……それは欲しいものじゃなくて、して欲しくないことじゃないですか。しかも、ものじゃないし」
「だって、佐伯くん、君に水着エプロンを着せて働かせるなんて……。思いだしただけでもはらわたが煮えくりかえります」
「ちょ、先生、落ち着いて。あれは珊瑚礁の売り上げのために、ですねえ」
「これが落ち着いていられますかって。あれはあきらかに佐伯くんの趣味ですよ! 佐伯くんがその夜、君を想像してなにをしたかを思えば、もう、腹が立って腹が立って……。きっと何回もですよ! 我慢できません!」
「え? なに? どういうこと?」
 わたしが聞くと、先生は急に我にかえったような顔をして、それからごまかすように話題を変えた。
「あ、ごめん。なんでもないです。そういえば、あのときの日焼けのあと、もう落ちた? 背中、みせて?」
「ん」
 先生がわたしを裏返して、肩胛骨あたりの水着のあとを人さし指でなぞった。
「かわいいなあ。こんな柄の猫、欲しいなぁ。じゃ、猫くださいよ」
 わたしは即座にダメ出しをした。
「猫はもうダメ!」
「ええ、ケチ」
「ケチでもなんでも。二匹でじゅうぶんです。なんたって、その二匹がどんどんお友だちまで連れてきて、実質今、先生が何匹の猫の面倒見てると思ってるんですか」
「ぶー。どうしても、ダメ?」
「ダメ。しかも、どこに水着のあとみたいな模様をつけた猫がいるっていうんですか」
 わたしが言うと、先生はわたしの背中に息を吹きかけながら笑った。
「ここにいるよ」
「え?」
「ほら。ここに。元気で可愛い子猫が一匹」
 つ、つう、と先生の人さし指が、わたしのうなじをはい上がる。
「もしかして、わたし?」
「うん。君が欲しいよ。ね、うちの子になって」
 先生が、まるで子猫に話しかけるみたいに気軽に言うから、わたしはシーツに顔をおしつけながら言った。
「やだ。わたし、猫じゃないもん」
「じゃ、なに?」
「……女の子です」
「なら、確かめちゃおう」
「あ、わわ……っ……! えっ、なに、先生、またするの……?!」

 おふとんのなかでの先生は、わたしのことを、まるで生まれたての子猫のように扱う。押しつぶさないようにそっと組み敷いてくるし、嫌がって逃げたりしないようにやさしく甘く、ささやいてくれる。それから、もっと先生になつくように、わたしの気持ちのいいところをたくさんたくさん、撫でてくれる。
 わたしは先生しか知らないけれど、これが特別だってことくらいわかる。たぶん、わたしのはじめてを許したのが同世代の男の子にだったら、こんな風にはいかないのだろう。きっと、もうすこしぎこちなくて、もうすこし痛いはずだ。
 わたしはなんて、幸せなんだろう。こんなにかわいがられて、慈しまれて、愛されて。
 こうして大切にされてわたしは満たされているけれど、先生はと言えば、最近こうしているときにときどき、切なそうな顔をする。ぴたりとすき間なくくっついているのに、ため息をついたりもする。困ったような、というよりも、なにかを求めているような。
 先生が求めているものを教えてもらおうと見上げると、なぜだか先生は『ごめんね』ってわたしにあやまる。
 わたしが目を閉じていると、耳元で、また先生のため息がきこえた。
「先生、どうしたの?」
「しあわせ、すぎて」
 ……それは本当なんだろうけど、ほんのすこし、嘘が混じっていることくらい、わたしにもわかる。
 そんなときの先生は、わたしの手首をつかんで、そっと自分のおへそのあたりに持っていったり、ときおり、わたしの頭をちょっとおさえて、おふとんのなかに押しこめようとしたりする。
 それは、とてもさりげないしぐさで、ふとすると見逃してしまいそうになってしまうのだけど、ふだんはいっさいなにも要求しようとしない先生にしては、すこし不自然な動きだ。
 それを何度かされているうちに、なんとなく、先生がほしがっているものがなんなのか、わかったような気がした。
 でも、気づいてしまっても、とてもじゃないけどわたしからは言えないし、ましてや、行動にうつすなんて、気の遠くなるようなはなしだ。
 ……言って、ほしいなぁ。言ってくれたら、わたし、それをこばまないのに。
 だけど、そのうちきもちがよくなりすぎて、それどころじゃあなくなってしまう。わたしは子猫みたいにみゃあみゃあと鳴きながら、先生にすがりつく。
 そして先生は、親猫みたいにわたしのからだを全部包んで、ほんのちょっと遠くまで連れて行ってくれる。

 そんなこんなで、その日の先生は、なぜか粘りに粘って、めずらしく三回も挑戦してきた。ちなみに、いつもは時間をかけてゆっくりと一度だけ、というパターンが多い。がんばったとしても、二回がせいぜいだ。
 不慣れな回数に、ほとんどなにもしていなかったわたしですらくたくたに疲れているんだから、先生のほうはもっともっと、大変だっただろう。さらに、わたしには夏休みがあと数日残っているけれど、先生には明日もお仕事がある。
 先生、大丈夫かなぁ。最後のほうは、かなりへろへろだったけど。腰とか、痛めてなければいいけど。
 その予感はずばり、的中することになった。

 翌朝はメールの着信音で目が覚めた。タイトルは『たすけてください』
 短いアルファベットに誕生日のを組み合わせただけのシンプルなメールアドレスは、先生ものだ。
 本文には、ひらがなが並ぶ。
「こしがいたくて、うごけません。がっこうは、やすみました」
 ……なんと。前日はりきりすぎた先生は、腰痛で立てなくなってしまったみたいなのだ。

「いい年して、あんなにはりきるから!」
 わたしが言うと、先生は情けなそうにまなじりを下げた。『シュン』という音が聞こえてきそうなほどに。
 ペチン、と音を立てて先生の腰に湿布薬を貼ると、先生はイタタっ、と小さな声をあげてうめいた。
 そりゃあ、三回ぜんぶに応じてしまったわたしにも、ちょっとは原因があるのかもしれない。でも、わたしはまだまだ若いし、なんといっても体力もある。だから、先生がわたしを欲しいといえば、いくらでも差しだせる。だからこそ、先生は自分自身でコントロールするべきじゃないんだろうか。いい大人なんだから。
「先生、二学期の始業式には間に合うの?」
 わたしが聞くと、先生はわかりません、と小さな声でしょんぼりと答えた。
「ハァ。年を取るのはイヤなものじゃよ」
「じゃよ?」
「これでも若いころはね、いくらだって出来たんですよ。佐伯くんなんかに負けたりしません」
「……」
「……あ、ごめん、いくらだってとかは、その、嘘です。見栄を張りました」
 わたしはもう一度、先生の腰をぺちん、とたたいた。今度は少し、本気で。そんな、冗談にもならない冗談はやめてほしい。

 お昼ご飯はチャーハンにした。おふとんから起き上がれないほどの重傷を腰に負った先生には、スプーンひとつで食べられるものがいいかな、と考えたのだ。
「さぁ、どうぞ」
 と、差しだすと、先生はすぐに手をつけようとはしない。
「どうしたんですか? チャーハン、嫌いでしたか?」
 わたしが聞いても、頭を横にふるふると振る。
「じゃあ、おなかがすいてないとか?」
 先生のおなかから、ぐぐう、という音がしたから、そういうわけでもなさそうだ。
「あ、もしかして、腕も痛くて、スプーンひとつもちあげられない、とか?」
 冗談めかしてわたしが言うと、先生は目をキラキラさせてわたしを見つめてきた。
「ま、まさか……。あーん、をやれ、と?」
 こくこく。先生はうれしそうにうなずいた。
 ……しかたがない。今日だけは、とくべつだ。
 最初は抵抗があったけれど、じっさい、やってみるとあんがい楽しかった。小鳥に餌付けをしているみたいでかわいい。いい大人で、さらに、はりきりすぎで腰を痛めた人にたいしてかわいいなんておかしいかもしれないけれど、ほんとうにかわいいのだ。
 ご飯を終えてお腹いっぱいになった先生は、しばらくの間、目を閉じていた。
「ハァ」
「先生、どうしたんですか?」
「やっぱり僕、若い人には勝てないのかな……」
 とつぜん、そんなことを言い始めた先生におどろいた。
 先生は、傷ついたような目でわたしを見ながら、また、深いため息をひとつついた。
「佐伯くんに負けまいとはりきった結果がこれですからね」
「さ、佐伯くん?」
 どうして昨日からチラチラと佐伯くんの名前が出てくるのかがわからない。
「きっと彼の若さなら、それこそ一晩五回とかできますよ」
「……は、はぁ」
「君を誰にも取られたくないです。君が僕以外の人に『あーん』をしてあげることとか想像すると、いてもたってもいられません」
「え、ええっと……?」
 話の展開が急すぎてよくわからないけれど、つまり、先生はなぜだか佐伯くんの若さに闘志を燃やしてしまった、と。その結果が、一日三回。だけど、けっきょくこうして腰を傷めて寝込んでしまった。それで、落ち込んでしまった、ということなんだろうか。いや、きっとそうなんだろう。
「僕は君にふさわしくないのかな」
 ついにはそんなことまで言いだしている。
 なにが、いまさらふさわしくない、とか。それこそ、わたしは先生にもらってもらわなくちゃ収拾がつかないほど、いろんなことをされているのに!
 そこで、ふと、気がついてしまった。
 ……されている、のに?
 そうだ。わたしばかり、先生にいろいろいろいろ、してもらっている。それは、おふとんのなかだけでの話じゃなくて、いろんな場面で感じることができる。たとえば、常に先回りをしてドアをあけてくれたり、いい席はかならずゆずってくれたり、できるだけ、お金のかからないデート先を選んでくれたり(デート代はたいてい先生が出してくれるのだけど、それを恐縮するわたしに、できるだけ気を使わせないように配慮してくれているのだろう)。
 わたしはと言えば、そんな先生にのんびりとついていくばかりだ。いつのまにか、先生にここちのよい環境をつくってもらって、それに甘えるばかりだったかもしれない。
 もし、わたしが先生の立場だったらどうだろう。わたしからはなにひとつアクションがなく、こともあろうかのんびりと水着エプロンを着て、他の男の子とアルバイトなんかしている……。
 水着かどうかはともかくとして、これって、不安になってしまわないだろうか。思わず、『あーん』をさりげなく(?)ねだらずにはいられないほどに。さらには、自分の年齢を顧みず、がんばってしまわなければならないほどに。
 これは……。フォローしたほうがいいのかもしれない。
「あ、あの、先生……」
「なに?」
 つまらなそうな声で先生は答えた。
「突然ですが、キスしませんか」
「……は?」
『自分からの愛情表現=キス』だなんて、われながら、短絡的な思考がなさけない。だけど、今のわたしにできるのは、これが精一杯だ。
「ええっと。その、わたしだって、先生にいろいろ教えてもらったから、キスくらいできちゃうんです!」
 そう言うなり、わたしは先生にとびかかるようにしてキスをした。ぎゃ、と先生がしっぽを踏まれた猫みたいに小さくうめいた。
 そうだった、先生は今、腰を痛めているんだった……。

 その日の午後は、ほとんどを先生の腰マッサージについやした。マッサージと言っても、強くしたら先生がぎゃあぎゃあと騒ぐので、ゆっくりゆっくり、手のひらで背中や腰を撫でていただけだったけれど。
 その合間に、何度も何度もわたしから先生にキスをした。寝癖のついたあたまのてっぺんにはじまって、しっとりと柔らかいほっぺた、それから薄いのにふわふわなくちびる、案外広い背中。わたしがキスでそっと触れるたびに、先生は満足そうに、幸せそうに、ほほえんでくれた。
「先生は、キスが好きですね?」
 わたしがたずねると、先生は笑って言った。
「キスは好きですけど、こうして君からしてもらえると、また格別です」
 先生は、わたしが思うよりずっと、わたしからの積極的な行動を喜んでくれたみたいだった。先生は続けた。
「君からしてもらえると、『愛されてる』って実感します。安心します」
「……それなら、言ってくれればよかったのに。いつだって、キスくらい、わたしからするのに」
「言えないですよ。催促するなんて、カッコ悪いですもん。もの欲しげじゃないですか」
「カッコ悪いって……。その意味で言えば、腰を痛めて寝込んでいる先生の姿以上にカッコ悪いものもありませんよね?」
 わたしが言うと、先生は余裕たっぷりでほほえんだ。
「そのカッコ悪い僕を好きなのは、誰でしょう?」
 わたしからのキスひとつで、これだけ自信回復しちゃう先生はやっぱりかわいい。
 わたしはそのしゅんかん、迷いなく先生へのプレゼントを決めた。

 その夜、さっそく先生へのプレゼント作りを開始した。
 わたしから先生にしてあげられることを、五枚綴りのチケットにして渡す。子どもだましなようでいて、なかなか我ながらいいアイデアだと思った。
 わたしは、勇気を出してチケットの表面に文字を入れた。
『お口で、してあげる券』
 ストレートすぎるかな、とも思ったけれど、わかりやすいほうが効果があるだろうし、なにより先生にしか見せないチケットだから、平気だと思った。
 本当は、さりげなくできればいいんだろうけど、慣れないうちは、きっとわたしには難しいから、して欲しいタイミングは、先生に教えてもらおう。
 先生が、言えなかったこと。そして、わたしからは出来なかったこと。キスみたいにかんたんにはいかないだろうから、これはふたりがゆっくりと歩み寄るための、最初の一歩だ。
 五枚目を使い切るころには、きっと、これがなくてもわたしと先生は、ちゃんとうまくできるようになると思う。

 お誕生日の日になっても、先生の腰がまだ治っていなかったら、わたしから一枚目を切り取って使ってあげてもいいかな、とも思った。
 たぶん、はじめはうまくできないだろうけれど、きっと、それでも先生は喜んでくれるだろう。
 これをわたしたときの、先生の顔を早く見たい。そして、チケットを切り取って、わたしにわたしてくる晴れやかな先生の顔を、早く見たい。
 


後日談


「わあああああ! こっ、小波さん、ちょ、ちょっと!」
 六時限目の授業が終わったとたん、まちかまえたように若王子先生が教室にとびこんできた。
 その勢いに、教室中のみんながふり向く。
 クラスメイトの大注目を浴びるなか、わたしは先生に右の手首をつかまれて、ずりずりと廊下に引きずりだされた。

「……先生、あの、もうちょっとですねえ、自覚を持って、ですねえ」
 わたしがため息をつくと、先生は「それどころじゃありませんっ」と息巻いた。
「いったい、どうしたんですか」
「あの、お口のチケット!」
 わたしはあわてて背伸びをして、先生の口をふさいだ。
「ちょっ、せんせっ! もっと小さな声で!」
「あっ、スイマセン」
 ……なにを言い出すのかと思ったら、この間の先生のお誕生日にプレゼントをした、五枚綴りのチケットのことだった。
 その名もなんと『お口でしてあげる券』
 この券は、先生にわりと好評で、というよりけっこう好評で、……いや、かなり好評で、プレゼントして一週間も経っていないのにすでに二枚も使わされてしまった。渡したその場で一枚(ちなみに、放課後の化学準備室で、だった)、それから、この間の日曜日に先生のお部屋で一枚。まぁ、使うために作ったものだから、それは別にいいんだけど。
「で、どうしたんですか?」
「……実は、あのチケット、校内のどこかで落としちゃったみたいなんです」
 今度はわたしが大声をだす番だった。
「えええええええ!?」

 はずかしい。かなりあれは、はずかしい。もちろん作った本人や使う本人を特定するようなことはなにひとつ書いてはいない。とはいえ、いくらなんでも、『お口でしてあげる』は、ないよなあ……。あんなもの、教頭先生にでも拾われたら、それこそ今度の朝礼では、みっちり十五分お説教だ。そんなことになったら学園のみんなにまで迷惑がかかってしまう。
「ど、どうしよう、先生……」
 ここが放課後の廊下であることもすっかり忘れて、わたしは先生の白衣の裾をぎゅっとつかんだ。
「僕こそ、どうしよう、です」
「……へ? まさか、教員手帳にはさんだまま、落としたとか、ないですよね?」
「や、や。いくら僕だってさすがにそこまでうっかりさんじゃないです。でも、どうしよう」
「どうしようって、なにが?」
「三枚も残ってたのに!」
「……えっ?」
「あと、三回もチャンスがあったのに! ねぇ、小波さんっ」
「は、はい?」
「あれがないと、もうしてくれないの?」
 こ、この人は……。これだけのことで、あんなに大騒ぎをしながら、教室に入ってきたというのだろうか。
 あきれてしまったわたしは、ぴしゃり、と強く、言い放った。
「そうですね。あれがないとダメですね」
「ええっ!?」
 先生は、顔面を蒼白にしている。
「ら、来週からの修学旅行先で使おうと思ってたのしみにしていたのに……」
 は、はい……? 今、何気なく、すごい言葉を聞いてしまった、かもしれない。そんな無謀な計画を立てるなんて、信じられない。むしろ、なくしてくれてありがとう、と言いたくなる。
「先生、君にお願いがあります」
 わたしは眉間にしわを寄せた。
「……なんですか?」
「クリスマスのプレゼントには、またあれを作ってください」
「やですよ。クリスマスこそ、もうちょっとロマンチックなものをプレゼントしたいですもん」
「ええー、お願いします! 先生、あの券が欲しいです。あの券こそ、男のロマンですよ!」
 めずらしく必死になる先生がおかしくて、わたしは少しだけ先生をからかうことにした。
「あ。それなら」
「なんですか!?」
「先生が去年出してた頭脳コーヒー試飲券みたいにして、わたしも学校のパーティのプレゼントとして出してみることにしようかな?」
「ええっ、それじゃ、誰が引くかわからないじゃないですか!」
「そうですよ~。あんがい、佐伯くんが引いちゃうかも! そしたら本当に一晩五回できるのか、ためしてみることも出来ますしね?」
 若王子先生の、悲痛な叫びが廊下に響く。
「そ、それはダメっ!!」

 ――わたしたちは、今日も平和だ。

 
 

【END】
 
 
2009/09/04

先生、おめでとうございます。だいすきです。
そして、先生がなくしてしまったごまいつづりの券のゆくえ、は……?

つづきがあります→マヨナカメガネ『ひろいもの』
 

 
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