ここは冬の国だ。日本から持ってきたデジタルの腕時計の暦はもう春だというのに、私たちは延々と続く白い雪のなかにいた。でも、白は嫌いじゃない。先生の白衣の色だから。私たちが眠るシーツの色だから。白にくるまれていると、たったこのひとときだけは、安心していいような気がする。そんな瞬間私たちにあるわけもないのに。常におびえていなければならないはずなのに。――おびえる? なにに? 私は、刑による罰はおそれない。むしろ、受けるべきことなのだ、と考えている。それでも、捕らえられることにおびえてしまうのは、刑によりこのひとと引き離されて、つながりがなくなってしまうことをおそれるからだ。もしも、離ればなれになったら、このひとは私を追ったりしない。捜したりもしない。なぜなら、先生はきっと、私を忘れてしまうから。『先生に忘れられてしまうこと』それこそが、私に架せられる、真の罰だ。かみさまから、与えられる、ほんとうの、罰だ。そんなことを考えながら、先生のからだに身をよせる。幼なじみの男の子はこのひとのことを『蛇のようだ』と比喩し、そして私から遠ざけようとした。私はそのとき、なんて答えたんだろう。もう、忘れた。彼の笑顔ばかりをみつめ、やりとりの結果を記憶に残さないほど、そのときの私はこのひとのことを何とも思ってなかった。そんな頃があったことが今では信じられない。その男の子が血だまりのなかで死んでしまったことよりも、私がこのひとを愛していなかった時期があるほうが信じられない。(ねえ、桜葉くん)もう、ごめんねも言えないけれど、こうして幸せになった私を祝福して。春の花の名を持つ、優しい人よ。今ごろ、日本ではあなたを悼むかのように、あの淡いピンクの色の花は咲ききそっているのだろう。目をとじると、あたたかい風が私の肌を撫でたような気がした。でも、気のせいだ。ここは、冬。隣にあるひやりとした肌に気づかされる。『……先生、ほんと、蛇みたい』ちいさな声でつぶやく。人間とは思えないほど体温が低いひと。私を抱くときでも、そうだ。私ばかり熱くなり、私ばかりが翻弄される。だけど、このひとの体温はあがらない。どう処理をしているのか、このひとの終わりすらも、私にはわからない。ただ、私のからだのなかに自分を残したことは、ない。それは熱いんだろうか。それともやっぱりつめたいんだろうか。私たちのこの逃亡の旅のなかで、荷物を増やしてはいけない。ましてや子ども、を、だなんて! それは、わかる。だから、このひとは私と真に、まじわろうとはしない。でも、果たしてそれだけだろうか。もしも、先生と私が平凡な男女として出会って恋愛をしたとしても、このひとは私と家族をもとうとはしてくれないような気がする。私たちのあいだに、人でないかたちをしたものが生まれてくることをおそれて。『なんて、まさかね』 私があれこれと考えていると、先生が少し身じろいだ。「起きたのですか、深雪」そう言いながら私を抱きよせる。私は答えない。「貴女も私を蛇だと言うのですね?」先生は少し笑いをふくんだ声でささやく。「さっきの貴女の独り言、聞こえていましたよ」―― 冷たい。抱きよせられて、余計に冷たい。冷たさにふるえながら私はたずねる。「先生、蛇なの?」私の問いに彼は笑う。「どう思いますか?」「――蛇だと、おもう」つめたいから。先生の胸に手のひらを当てると、冷えて湿った蛇のからだが手首に巻きついてきた。でも、それは先生の指だった。先生は、つかんだ私の手首を自分のくちびるに寄せながらとろりとした低い音程でささやく。「人間ですよ。貴女を愛する、ね」その証拠にほら、冬の国なのに、私は冬眠していないでしょう? ――たてつけの悪いドアから雪の匂いがしのびこむこの淋しい部屋で、私は蛇に化かされている。だまされている。デジタルの時計のカレンダーは、四月一日。



2010/04/01

まよめが お題 『疑惑』より

疑惑っていうのとはちょっと違うような気がします。
一応、エイプリルフールねたにかすってる的な?