はて、に。

高坂は、私が汚してしまったシーツを見て、帰ってくるなりため息をついた。
「今月も……だめでしたね」

平日の昼間、彼はこの部屋を不在にする。いつだったか、どこに行っているのかとたずねたら、「あなたを飼うために、少しは稼がないといけませんからね」と、彼は笑って答えた。そう。わたしは高坂に飼われている。彼が留守の間は私は両手を麻の紐でひとまとめにされ、鋼のベッドに結わえつけられている。まるで、おしおきをされる、子どものように。
はじめから私には逃げる意志などないし、彼もそれをよく知っている。それなのにこの習慣が変わらないのは、結局、私たち二人が、このスタイルに一番安心するからだろう。
日常のこととは言え、外出前の用意は周到だ。私が退屈しないよう、いくつかの古い小説が常に用意されているし(くちびるでページをめくって読むのだ)、彼が不在の間に、排泄をもよおしたりしないよう、食事の時間は一日一度だけと決められている。彼が帰ってきてまもなくの、この時間にだ。
でも、今日は、食事は無理かもしれない。きっと、彼は失望しているだろうから。

「あなたの体は、まるで私を拒んでいるみたいですね……」
彼は、慣れた手つきで私の手首から縄をほどき、ベッドから降ろすと風呂場に直行させた。血で汚れた、体と着衣を洗わせるためだ。
「きれいになったら合図をしてください」
そう言って、彼は風呂場の扉を閉じた。そして、カチャン、と外から鍵をかける。
私はのろのろと、薄手の綿でできたシュミーズを脱ぎ、それから、大きめの木綿の下着も脱いだ。鏡には、血だらけの布を持つ痩せた少女の姿がある。
――これが……私?
腰骨が大きく出て、胸にはあばらがういている。肌はかわいてかさかさになり、口びるには、色がない。頬がこけたぶん、耳だけがやたら大きく目立っている。あきらかに、栄養や、昼間のひかりが足りていない姿だった。
それなのに――。
まだ、生理はあるなんて!
女であることが悲しかった。声をあげて、泣きたかった。しかし、水分不足の体からは、涙の一つもでてこない。
私は、キュッっとシャワーの栓をひねると思い切り口をあけて、体の上から降り注いでくるカルキ臭いぬるま湯を飲んだ。

体から血を落とし、布を洗い終えると、私は風呂場の扉を内から叩いて高坂を呼んだ。
しばらく待つと、磨りガラス越しに彼の長身が現れた。とたん、私の骨張った二の腕に鳥肌があらわれる。
こんなに長く彼と過ごしているのに、彼を確かに求めているのに、それでもまだ、彼の動作一つ一つに緊張する。
――彼は、私になにをするかわからないから。
機嫌が良いときは、猫かわいがりをされる。それが彼が家にいられる土日ならばいくらでも食事を与えられ、ふところに抱かれ、一日じゅう、甘やかされる。けれど、機嫌が悪いときには何日も食事を抜かれ、その上、虐待と呼ぶには生ぬるい、拷問と呼んでもいいほどのいたぶりを私にほどこす。
彼の機嫌の善し悪しは、外見からではわからない。私への触れ方で、知るしかないのだ。
この扉が開くと、今日の私は、どう、扱われるのだろう……。多分、シーツを汚した私を怒っているだろう。いや。彼の希望を今回も叶えなかった私を。
ガラス越しの彼は、濡れた私を受け止めるためのバスタオルを用意しているようには見えない。彼も、きっとここに入ってくるのだろう。
この風呂場で、私をいじめぬくつもりかもしれない。私は息をのみ――覚悟を決めた。

果たして、風呂場の扉を開けた彼は、一糸まとわぬ姿だった。本能的なおそれから、風呂場の隅に逃げた私にゆっくりと近づいてくる。
「――きれいに、流しましたか……?」
ささやくような、優しい、声。でも、私は知っている。声だけでは、彼の機嫌ははかれない。私は、彼の問いかけにこくりと首を縦にふって、こたえた。
「いい子です。さあ、こちらにいらっしゃい……」
狭い風呂場だ。彼は手を伸ばし、私をあっという間に両腕に捕まえた。
「どうして今回も、だめだったんでしょうね……? あんなにたくさん、愛してあげたのに」
そう言いながら、私をタイルの壁に向き合わせ、背中から抱きしめ――
「……っ!?」
まえぶれもなく、彼は私をつらぬいた。
私は突然の衝撃で、前につんのめり、くずおれそうになった。しかし、彼がしっかりと私の腰を支えていたおかげで、体勢を崩さずにすんだ。
「……はっ。あなたの血は……ぬるぬるして、温かくて……。こんなにも私を、受け止めてくれるのに……」
甘い声で、うっとりとつぶやきながら、高坂は執拗に私を犯す。
薄暗く、狭い風呂場に、私からあふれた血の匂いが充満してゆく。
なんの準備もなく高坂を受けいれた体が、快感を得られるわけもなかった。行為が激しくなるにつれ、下腹部に満ちる生理時特有の鈍い痛みが増していくだけだった。だけど、悦びを見せないと、彼は機嫌を悪くするかも知れない。私は、半泣きになりながら、腰を彼のリズムにあわせた。背中からされるのは好きではないけれど、今日に限っては苦痛にゆがんだ顔を見られなくてよかった、と思った。
高坂は、そのままのかたちで最後を迎えた。
私の奥深くに精液を届けながら、ようやく思いだしたように私の足の間を二、三度、こねた。
「この匂い……。思い出しますね」
――なにを……とは、問えない。
空気に混じった、生臭い血の臭い。私と高坂が、人々を死に追いやった夜のことを言っているのだ。
「あなたは――あの日、私の大切な甥っ子を死なせました」
(だって、それは先生が……!)
彼は私を前に向かせながら、血だらけの指を私の口びるにおしあててきた。
「あなたが、見殺しに、した」
彼の瞳の奥には、がりがりに痩せて、震える私が映っている。
「だから、あなたは」
彼は、私の口内に、血濡れた指を押し込んだ。私の体から出た血を、私に還そうとするみたいに。
「新たに、私のためのオモチャを創らねば、ならないんです」
――それまで、壊れてはいけませんよ?
私の耳の奥に向かってささやきながら、彼は私に口づけた。

清潔なシーツを張り直したベッドの上に裸のまま寝かされた私は、あらためて彼に抱きしめられた。
(また、血で汚れちゃう……)
私の気持ちを先読みしたのか、彼は薄く笑うと、言った。
「大丈夫です。洗い替えなら、まだまだあります」
今回は先ほどとは違って、女の快感を探り当てるような、丁寧なやり方をされた。
小さなキッチンからは、私の好きなスープの香りが漂ってきている。私がシャワーを浴びている間に用意してくれたのだろう。
今日の彼は、少し強引だったとはいえ、痛いことはしてこないし、もしかしたら機嫌がいいのかもしれない。
このあとにはいつも通り、彼の手からスープを与えられるかも知れない。今日は食事をあきらめていただけに、私は安心して体を開いた。
女の体は正直だ。安心できる状況で抱きしめられると、体温はどんどんあがってゆく。たとえ、異常な状況であっても。
「……っ……」
彼の優しい指さきの動きにため息をこぼすと、高坂は満足そうにほほえんだ。
「準備は、いいですか?」
(……はい……。もう、先生が、欲しい……)
私は瞳で訴えた。
「……ならば、今、選びなさい」
「?」
「私か、スープか」
「!?」
そういうと高坂は私の急所に爪を軽く、ひっかけた。
「……!」
強すぎる快感に、めまいが走る。
――目の前にある道は、ふたつ。私が選ぶのは……。
あのとき、選んだ道がここにつながっている。だから、こうなっている。私が、彼に添う道を選んだ。私自身が。

結局、私が選んだのは高坂だった。彼は私の上で腰を揺らしながら、嬉しそうに話す。
「男の子が出来たら、今度は火を怖がる子に育てるのも面白いですね……。幼い少年の目の前で……母親であるあなたを焼き殺す、だとか……」
「!?」
「女の子だったら……そうですね。あなたを、家に帰してあげましょう。今度はその子が、私の子どもを産んでくれるでしょうからね」
私は、迫り来る快感の中、それでも一筋、走る恐怖に首を横に振って否定を見せた。しかし、彼はかまわず続ける。
「でも、あなたを帰すのはいいですけど、言葉を話せないことだけでは、少し不安ですね」
――そう。私は、声帯をつぶされ、舌を抜かれている。ここに来た当初、彼のすることすべてに声をたてた私を煩わしがって、彼自身が私に手術をほどこしたのだ。
「そのときには、残った指も、処分しましょう。指があると、ほら。パソコンで文字を打てますから、伝言ができます。あなたを信じていないわけではありませんが……。念には、念を」
――私が彼の意のままにならぬ時、私は少しずつ、体の一部を失ってゆく。すでに、指は両手合わせて、6本しかない。
「……行方不明になっていた少女殺人鬼が、信じられない姿で帰宅、だなんて、とても美しい話じゃありませんか? ……でも、安心してください。それでも、いつか……。わたしは、あなたを、ちゃんと迎えに……行きます……。私が殺してあげます、から、安心してくだ、さい……」
話をしながら、快感に目を細めた彼を、神様のように美しいと思ってしまう私は、きっと、どこかおかしいのだろう。
だけど、そう。あの血の匂い満ちるチャペルの中で、彼は私の神様になった。私の生と死を司るのは、宗教上での神ではない。高坂なのだ。

声も、指も、あなたに奪われたものだ。神様が望んでくれたものだ。ちっとも、惜しくはない。耳も、鼻も、欲しいならば私から差しだす。
ただ、願わくば、あなたとの最後が訪れるその日まで、この瞳に映るひかりだけは残して欲しい。最後の瞬間まで、私の神様を見つめていたい。
最後が来たなら――あなたの手で私を、暗闇の果てに堕として下さい――

少しずつ荒くなる彼の吐息を聴きながら、私はしずかに、それだけを願う。